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ラオスに混ざってしまった日本人(岩佐文夫)

連載:ベトナム、ラオス、ときどき東京
「海外に住んでみたい」という願望を50歳を過ぎて実現させた著者。日本と異なる文化に身をおくことで、何を感じ、どんなことを考えるようになるのか。会社員を辞め編集者という仕事も辞めてキャリアのモデルチェンジを図ろうとする著者が、ベトナムやラオスでの生活から、働き方や市場経済のあり方を考える。

「まるで天国だった」

「ラオスの人は、人と一緒に過ごすのが上手いんです」
こう話してくれたのは、ラオスの首都ビエンチャンでカフェ「café ango」を経営する吉岡博士さんだ。

これは意外だった。僕がここで1か月過ごした実感とかけ離れていたからだ。ラオスの人は言葉少なである。顔の表情も豊かなほうではなく、あまり気持ちを外に出さない。店員さんや僕の住むアパートメントの人も、こちらから挨拶すると返してくれるが、どちらかというと社交的なほうではない。

こんな感想を吉岡さんに伝えると、「基本的に人に介入してこないんです。だから、逆に人と一緒に過ごすのが上手い」と。

またまた意外なことを聞き、同時に発言の主に興味が湧いてきた。

吉岡さんが最初にラオスに来たのは、2009年、国際協力機構(JICA)の海外青年協力隊として赴任してきた。それまで関西の中学で美術を教えていたが、双子の弟がやはり協力隊としてアフリカに赴任していた。

遊びに行った吉岡さんは、楽しそうに働く弟を見てすっかりその気になり、帰国後応募した。ラオスについての知識はほぼゼロ。初めて訪れたラオスの印象は、「まるで天国だった」と言う。

それは日本での大変な思いの裏返しだった。勤務していた中学校は家庭環境に問題のある生徒が多く、トラブルを起こす生徒が多かった。先生にも無用にちょっかいを出す。いわゆる「荒れて」いた。

親が自殺してしまったり、突然警察がやってきて親を逮捕したりする光景を見た子など、思春期の子どもたちはやり場のないエネルギーを先生にぶつけてきた。それを受け止めていた吉岡さんも、いつのまにか疲弊していたのかもしれない。

ラオスに来ると、そういう気苦労と無縁になった。もちろんラオスにも経済環境が貧しかったり家庭環境が複雑な人はたくさんいる。とはいえラオスには誰かしら子どもの面倒を見る風習があるので、日本の「荒れた校区」で見る複雑な状況にはならない。貧しくても「誰かに見守られている」感覚があるのかもしれない。だからか、総じてラオス人は「自己肯定感が高い」というのが、吉岡さんの見立てだ。他人からの承認欲求が満たされることがなくても、彼らは不満がないように見える。

「ここでの仕事を彼らの一部と思ってもらう」

協力隊の任期を終えても吉岡さんはラオスに留まった。もっとここにいたいと思っていたらJICA関連の別のプロジェクトなどをしていた。そんなある日、レストランを経営している日本人から「場所が空くから何かやらないか」と誘いを受けた。この経営者は日本に帰ることにしたそうで、自分たちが使っていた場所を吉岡さんたちに託したいと考えた。

「たち」というのは相方の絵里佳である。アート制作をしながらラオスと金沢を行き来していた絵里佳さんは、この話しを即座に「面白い」と思った。うまく行く行かない以前に、どうにかなると思った。「やろうよ」と吉岡さんに提案する。

吉岡さんは当初は慎重だった。これまで事業をした経験もないし、会社勤めもない。調理も接客の経験もなし。だが1か月考えていたら、自分が「やる」方向で考えていることに気がついた。最初はモノを売る店も考えたが、ここを訪れた人が静かに落ち着いて寛げる場所にしたいと、カフェを開くことにした。

それから三年、いまではラオス人を5人雇い、お店を切り盛りしている。「日本食」を売りにするのではなく、ラオス人であろうと欧米の旅行者であろうと、こちらに滞在する日本人であろうと、寛げる空間にしたかったというが、まさに無国籍な店構えからその意図が伝わってくる。こちらでは珍しく、靴を脱いで入るお店だ。

人を雇う経験も初めて。最初から苦労は絶えないようだが、いまではラオス人スタッフで店を回すこともできるようになりつつある。ラオス人は自分の世界がすべて。家族で食事をすることになったからと急に休む。

店主として「それは困る」と思う一方で、こちらが羨ましいと思うことがあるほど、自分の世界を大事にするという。だから「何とかここでの仕事を彼らの一部と思ってもらう」ことに尽力しているそうだ。そしてラオス人スタッフの定着なくして、お店はやっていけないと。

「そうだ、ラオスの人は人を咎めないです」

あらためて「ラオス人は介入しない」という意味を吉岡さんに聞いてみた。すると「でも、世話焼きでもあるしな…その人のためになると思ったら介入しまくりです」と自身で考え直しはじめた。お店で作業していると「手伝うことある?」とラオス人スタッフはよく声をかけてくれるという。友達が困っているときの世話の焼き方は相当のものらしい。

「そうだ、ラオスの人は人を咎めないです」と吉岡さんが言い出した。何でも、そうだね、と聞いてくれるし、お互いに自分の世界を大事にしていることを尊重するのだそうだ。

そういえば、当の吉岡さんこそ、人を受け入れる人だ。店を見ていても、どんなお客さんにもにこやかに対応し、僕のような一時滞在者とも快く付き合ってくれる。わざわざ休みの日も、こうやって話しを聞かせてくれる。

「来るものは拒まず、去るものを追わず」という人。「類は友を呼ぶ」。どんな人も受け入れる吉岡さんがラオスが好きになった理由が分かってきたように思えた。

自己肯定感が高いラオス人とて、やはり一般的には経済的に貧しい暮らしをしている。日本を凌ぐ猛暑のこの国で、多くの人はエアコンがない家で生活している。冬場にお湯が出ないシャワー、電子レンジもない。

吉岡さんに「将来について考えていますか」と聞くと、親指と人差し指で何かをつまむように「これっくらいですかね」と笑う。少し考えて「やっぱりうちで働いているスタッフが、エアコンとか電子レンジが買えるようにしたいというのが当面の目標ですかね」と。すでに吉岡さんの世界の一部には、ラオスが含まれているようである。

岩佐文夫(いわさ・ふみお)
1964年大阪府出身。1986年自由学園最高学部卒業後、財団法人日本生産性本部入職(出版部勤務)。2000年ダイヤモンド社入社。2012年4月から2017年3月までDIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集長を務めた。現在はフリーランスの立場で、人を幸せにする経済社会、地方活性化、働き方の未来などの分野に取り組んでいる。ソニーコンピュータサイエンス研究所総合プロデューサー、英治出版フェローを兼任。
(noteアカウント:岩佐文夫

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