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著者ロン・バーガー来日! 『子どもの誇りに灯をともす』より「はじめに──クラフトマンでいっぱいの教室」全文公開

2023年3月に発刊された『⼦どもの誇りに灯をともす』は、アメリカの小さな学校の教師だったロン・バーガーの教育思想が詰まった一冊です。全米屈指のPBL(プロジェクト型学習)校、ハイ・テック・ハイにも影響を与え、現場の教師に20年読み継がれてきました。
この度、ハイ・テック・ハイが2013年より毎年各国で開催している研修「Deeper Learning」の初の日本版が企画され、講師としてロン・バーガーが来日されます。これを記念して本書の「はじめに──クラフトマンでいっぱいの教室」を公開します。
※「Deeper Learning Japan 2024」(8/5-8/6開催)について、詳しくはこちらをご覧ください。

はじめに──クラフトマンでいっぱいの教室

私は25年にわたって二足の草鞋を履く生活をしてきました。普段は公立学校でフルタイムの教員として勤務しています。一方で家計を支えるために、学校の夏休みや冬休み、時には週末に大工として働いてきました。教室でも、工事現場でも、私を突き動かす信念は同じです。それは、何かをつくり出すからには、自分が誇りに思えるような、力強く正確で美しい作品を仕上げるように全力を尽くすべきだという考えです。

大工の世界で「あの人はクラフトマン(職人)だ」といえば、それは仲間の大工に対する最大の賛辞の言葉です。この言葉は重要な要素をすべて内包しています。クラフトマンという言葉が意味するのは、誠実さと知識を兼ね備えた、自分の仕事に誇りを持って一心に取り組む人の姿です。慎重に物事を考え、素晴らしい仕事をする人。

私は、生徒たちみんなにクラフトマンになってほしいと望んでいます。正確で力強く、美しい作品をつくり上げる生徒たち。自分自身と仲間を大切にし、自らがつくる作品に誇りを持つ人になってほしいのです。

複雑な屋根の骨組みをつくる際、垂木(たるき)の角度を割り出すために三角法と電卓を使う大工もいれば、高校で習う数学の知識は使わず、巻尺と空間認識能力、そして自分の鍛錬した目に頼る大工もいます。実際のところ、作業にかかる時間と予算が許容範囲内であれば、どちらのアプローチでも構いません。重要なのは、しっかりとした家を建てることです。

私の生徒たちの中には、本に囲まれて育った子もいれば、家に本がほとんどなかったという子もいます。読み書きや算数を難なくこなせる子もいれば、言葉や文字が逆さに見えてしまって文章を読むのが難しい子や、数字を順番に書けない子もいます。特に困難のない快適な暮らしをしている子もいれば、何らかの障害を抱えていたり、健康や家庭環境による苦労が多い子もいます。

私はそんなすべての子どもたちに、クラフトマンになってほしいのです。作品を仕上げるのにより多くの時間を必要とする子もいれば、追加のサポートやアプローチの仕方に工夫が必要な子もいるでしょう。それでも、最終的にはすべての子どもたちが、自分で誇りに思える作品をつくれるようにしたいのです。

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数年前、私はプレイハウスの屋根の上にしゃがみこみ、6年生のアーロンと一緒に屋根板を釘で打ち付けていました。10月のよく晴れた日曜日で、空気は澄み渡っており、ニューイングランド地方に住んでいてよかったと思わせてくれる特別な日でした。楓の黄色と赤に染まった葉に午後の光がさしていて、その屋根の上からは美しい世界が見えました。

屋根の下では5年生のホリーとジャスティンがペンキ塗りをしながら、何やらくすくす笑っています。そこにマイクが妹と一緒に現れて、「先生のクラスの生徒じゃないけど、手伝ってもいいですか?」と言うので、もちろん、と答えました。それからケイトも現れて手伝い始めました。7人もの仲間がいれば、プレイハウスはすぐに仕上がると思うかもしれません。実のところは、3週間にわたって午後の授業時間や放課後に取り組んできましたが、まだまだ多くの作業が残っていました。子どもたちと一緒につくり上げていくのは時間がかかるのです。

プレイハウスと聞くとシンプルなものを思い浮かべるかもしれませんが、私たちのプレイハウスはとても手の込んだ作りのものでした。5年生の生徒たちが建築について勉強していた時に、学校で一番下の学年である幼稚園(キンダーガーデン)の子どもたちへのプレゼントとして、一緒にデザインしたのです。幼稚園児たちからのリクエストにより、プレイハウスは2階建てで、中にハシゴ式の階段があり、2階には「覗き(スパイ)窓」、1階には二つの窓、そして玄関の外にはポーチがありました。また、板張りの外壁、ビクトリア調の窓枠や内装の装飾が特徴的で、サイズとしてはそれほど大きくありませんが、とてもよく仕上がっていました。

プレイハウスをつくる子どもたち

プレイハウスをどんな色にするか、私は生徒たちと何度も議論をしました。生徒たちは、パイングリーンの外壁とクリーム色の窓枠に、屋根板もグリーンにしようというのです。緑の屋根に緑の壁とは! 絶対に色がぶつかるから、屋根の色を無難な黒か茶色にしたらと提案してみましたが、クラスのみんなに反対されました。

蓋を開けてみたら、間違っていたのは私でした。屋根板は深いグレーの入った緑で、外壁の色とよく調和していました。プレイハウスの色は地域の人々からの評判も上々で、生徒たちは先生の提案した色にしなくてよかったと後々まで冗談まじりに語っていました。屋根板を打ち付けていると、アーロンが私に笑いかけているのに気づきました。私は声をかけました。「うん、とても良く仕上がっているよ」

実は10年ほど前から、私の二足の草鞋は三足になっていました。教師と大工の仕事に加えて、他の学校を対象にコンサルティングを始めたのです。学校教育の場でエクセレンスを追求するという情熱を、より大きなスケールで広めていきたいと思ったからです。特に、都市部の貧しい子どもたちにより良い教育の機会を与えたいと切望していました。ここ数年は、コンサルティングの仕事が忙しくなり、大工仕事をする機会は減っていたので、久しぶりに金槌で釘を打つ作業はとても楽しいものでした。

私の学校はマサチューセッツ州の森の中にありましたが、コンサルティングに赴くのは主にアメリカ各地の都市部の学校です。私の生徒はほとんどが田舎育ちの白人の子どもたちでしたが、都市部の学校の先生や生徒には白人が少なく、言語環境や文化的背景もさまざまでした。私のコンサルティングは、先生と生徒みんなが「質の高いものをつくることが大切だ」と信じて美しい作品をつくり上げることにワクワクするための戦略を考え、共有することを目指していました。

プレイハウスの屋根の上で、アーロンが慎重に間隔を空けて釘を並べています。屋根の下にいる子どもたちは、下地板を設置したり、窓枠を塗ったり、一心に作業に取り組んでいました。生徒たちがデザインし、自分たちの手でつくり上げた美しいプレイハウス。どうしたらこの経験を共有できるだろうか? どうすれば、正確に表現できるだろうか?

あの日曜日についてよく覚えているのは、ニューイングランド地方の美しさやプレイハウスのためではありません。才能のある子どもたちや優れた教え方、他校にも売り込みたいカリキュラムといったものでもなく、あの日の空気感、共有された精神があったからです。子どもたち、教え方やカリキュラム、学校の環境、地域コミュニティ。どれも欠かせない要素であり、そのすべてが同時に変化することが重要です。

あの日、私たちが共有した精神、つまり倫理観がすべてに変化をもたらしました。子どもたちに「手伝いたい」と思わせ、協働を促し、少しでも質の良い作品をつくろうと真剣にさせたのです。この倫理観は学校の文化によってもたらされたものでした。

では学校の文化、そして倫理観はどのように共有したらいいのでしょうか?

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最近、新聞を広げれば学校教育の「危機」についての記事が目に入り、新しい解決案がすぐに成果を上げるはずだ、と話題になります。例えば、もっと子どもたちに試験を受けさせよう、特別な経験がない先生でも教えられるカリキュラムが必要だ、能力給にすればいい、州の基準を定めるなどです。

このような記事はダイエット商品のキャッチコピーのようで、心配になります。「短期間で○○キロ痩せる!」「劇的な成果!」「簡単にできる!」といったものです。ダイエット商品のように、新しい試験にも多額の資金がつぎ込まれています。でも、手っ取り早く痩せた人のほとんどはリバウンドに苦しみます。体重を毎日測っていても痩せるわけではないし、しょっちゅう子どもたちに試験を受けさせても、より賢くなるわけではありません。

余分な体重を落として適正体重を保つためには、適切な運動と食事という、新しい倫理観を定着させるしかないのです。即効性のある方法ではなく、長期間にわたるコミットメントが必要です。生き方そのものを改めなければなりません。

学校教育を短期間で「直す」という言葉を耳にすると、私は教育システムは壊れているわけではない、と感じます。とても良い取り組みをしている学校もあれば、そうでない学校もあります。うまくいっている学校には、生徒たちを真剣に取り組ませるような倫理観や学校の文化があるのです。

そうでない学校に必要なのは、試験を増やしたり、新たな教育目標を掲げたりすることではありません。必要なのは新しい学校の文化であり、倫理観です。そして、新しい文化が根付くまでの近道はなく、長期間にわたるコミットメントが必要です。学校のあり方そのものを変えなくてはなりません。

アメリカの学校教育は、ある時から間違った方向に行ってしまったようです。生徒や学校や教育区を度重なる試験でランク付けすることに焦点が当てられるようになってしまいました。ランキングよりも重要なのは、子どもたちの一番良い面を引き出すために学校やコミュニティに何ができるか、ということではないでしょうか。

アメリカ各地の学校を訪れると、生徒たちが何らかの分野で目覚ましい成果を上げているのを目にすることがあります。同僚のスコット・ギル先生の子どもたちが通う高校は、スポーツで信じられない結果を出しています。このウィスコンシン州キューバシティ高校は、一学年75人程度の小さな学校です。学区も決して裕福な地域というわけではなく、ほとんどの家庭の親は酪農や食肉加工工場で働いています。キューバシティ高校は、過去30年の間、男女のさまざまなスポーツで、州大会で14回、地区大会で47回も優勝しました。

他にも、オーケストラ、チェス、レスリング、アート、ディベート、エッセイコンテストなどの州大会で、何年にも、時には何世代にもわたって他を圧倒する成果を収めている学校を訪れました。

一体何が起こっているのでしょうか? キューバシティの子どもたちがみんな生まれつき優れたスポーツ選手というわけでも、音楽の才能に溢れた子どもたちがアイオワ州の一つの町に集結しているわけでもありません。遺伝や運という問題ではないでしょう。

私立学校や大学であれば才能ある生徒を集めることができますが、これらは公立の学校です。たまたまその学校に入った子どもたちを毎年のようにスターに育てているのです。スポーツや音楽といった課外活動に限らず、キューバシティ高校は、その地域の人口構成から推測される結果とは裏腹に、学業面でも良い成績を収めています。

私の知り合いには、ニューヨークのハーレム地区にあるセントラルパーク・イースト高校やボストンのフェンウェイ高校で教えている教師たちがいます。これらの都市部の学校の生徒たちは、ほとんどが低所得家庭の、白人ではない子どもたちなので、高校卒業率は非常に低いと思われていました。でも、実際には生徒の95%が卒業し、約90%は大学に進学しています。

これらの学校に、特別な仕掛けや魔法があるわけではありません。共通しているのは、生徒に高いレベルのものを求めているということです。生徒の経歴や人種や学歴に関係なく、実に多くのことを生徒に期待しています。「生徒に対する高い期待」をモットーに掲げるアメリカの学校は数多くありますが、実践している学校はほとんどありません。

しかし、教師の立場から私が言えることは、高い期待があっても成果の保証にはならない、ということです。それは出発点に過ぎません。これらの学校に特徴的なのは、生徒への高い期待を生徒の達成度と結びつけていることです。そして、生徒にやる気を起こさせ、サポートし続ける学校の文化があるのです。

改革に成功した都市部の学校に関する新聞記事を読むと、学校の文化を形づくる要素を一つだけ取り上げ、そのおかげで成功したと結論づけているものが多く見られます。授業時間を長くしたり、制服を導入したり、勉強が遅れている子にチューターをつけたり、古典文学をカリキュラムに取り入れたからだと結論づけるのです。

私は改革に成功した都市部の学校と仕事をしてきた経験から、たった一つの戦略がまるで魔法の薬のように貧しい地区の負の連鎖を断ち切ったと考えるのは馬鹿げていると感じます。このような学校が直面している課題は多岐にわたる膨大なものなので、問題解決のために構築された学校の文化は複雑で、よく考え抜かれたものであるはずなのです。

エクセレンスの鍵は、文化にあります。家庭や地域コミュニティや学校に、質の高い作品を生み出すことを期待し、支援を惜しまない文化があると、子どもたちはその文化に適応しようとするのです。エクセレンスの文化は人種・階級・地理といった垣根を越えていきます。子どもたちの出身地がどこであるか、家庭の所得はどれくらいか、どのような経歴を持っているかは関係ありません。一度、大きな影響力を持つ倫理観が根付いた文化に触れれば、その倫理観が彼らの基準になります。それが彼らの当たり前となるのです。

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2年前、私はバーモント州のオースティンろう学校から、質の高いプロジェクトとはどのようなものか、というテーマで講演してほしいと依頼されました。プロジェクトに関するスライドや動画、生徒の作品などと一緒に、6年生のソニア、リサ、クロエを連れていきました。3人とも耳が聞こえる生徒でしたが、聴覚障害者の文化を授業で学び、手話を習得していました。

午前中は学校見学から始まり、授業参観をして、ろう学校の生徒たちと交流しました。そして昼食後に、学校関係者を前にプレゼンテーションをしました。生徒たちは過去2年間に取り組んだ作品集を見せて、音声通訳をしながら手話で質問に答えていました。ソニアたちは自分たちの考えを思慮深く明確に表現しており、作品はとても素晴らしいものでした。私は誇らしい気持ちでいっぱいになりました。すべてが順調でした。

私のスライドと動画のプレゼンテーションが終わり、質疑応答の時間になりました。学校関係者からは私だけでなく、3人の生徒たちへ多くの質問が寄せられました。生徒たちへの質問は「なぜ、そんなに一生懸命取り組むのか?」ということに尽きるようでした。それほど高い基準を持っているのはなぜか? 何度も草案をやり直す理由は? そこまで頑張らないといけないというプレッシャーを感じるのか? 文句を言ったり、途中で嫌になって適当なものを提出したりしないのか?

ソニアたちにはそれらの質問がよく理解できないようでした。学校や地域の、良い作品をつくるために全力を尽くすことを当たり前とする文化を自らのものとしていたので、なぜそんなことを聞くのかわからなかったのです。
しばらく考えてから出てきた答えは「そういう学校だから」というものでした。「特にプレッシャーに感じたことはないし、普通のことです。全員が何度も草案をやり直すし、作品の質にこだわるし、一生懸命頑張っています」これが彼女たちにとっての学校なのです。

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本書は、学校における「エクセレンスの倫理観」がどのようなものかを説明し、そうした文化を築いて維持する戦略を読者と共有することを目的としています。本書で提案する「エクセレンス」の定義は広く、学業面、芸術面、そして個人の人格にも及ぶものです。学校は子どもたちの価値観を形づくるのに非常に重要な役割を担っています。

学校が子どもたちに価値観を教えるべきかという議論がしばしば起こりますが、学校教育のプロセスそのものが価値観を植えつけるものです。そこに選択の余地はないのです。誠実さ、自分や他人を尊重すること、責任感、思いやり、勤勉さを大切だと思う人を育てたいのだったら、そのモデルとなるような学校の文化を構築するべきです。

エクセレンスに重きを置く学校の文化に一つの理想の形があるわけではなく、学校の環境によっていろいろなやり方が考えられます。本書で紹介するアイディアは、私が一緒に仕事をする機会に恵まれた教育者や彼らが書いた本、実際に学校の文化をつくり上げ、維持するために尽力してきた同僚たちの経験や、私の教室で試行錯誤した経験から得たものです。

この本は、そのような文化を、特に必要としている学校に役に立つような形で共有しようと模索する私の探究の物語でもあります。新しい文化や倫理観を構築するには、最初の一歩を踏み出すことが必要です。そのためには、改革の方向性を示す方針、つまりビジョンがあるべきです。生徒たちの美しい作品と、それを後押しする環境をつくることへの情熱が、変化を引き起こす火花になれるということを、本書を通して共有したいのです。

私は「美しい作品(beautiful work)」という言葉を広い意味で使っています。最近、私のプレゼンテーションの冒頭に「美しい作品」という言葉が頻繁に出てくるので、あなたは美術の先生なのかと思っていました、と言われました。その時私が話したのは、数学と科学についてでした。小さな町の小学校の5・6年生にすべての教科を教える私にとって、どんな分野であれ質の高い作品は美しいものであり、その形容詞を使うことに違和感はありません。

私は、質の高い作品は変容をもたらす力を持っていると信じています。ひとたび、自分の力で素晴らしいものをつくり上げることができると知った子どもは変わります。自己イメージが変わり、自分の可能性をより感じられるようになるのです。そして、もっと良いものをつくりたいという気持ちが湧いてきます。

一度そういった体験をすれば、そこそこの出来では満足できないハングリー精神を持つようになります。オースティンろう学校の先生たちがソニアに「他の学校の生徒たちは、自分の作品の質にそこまでこだわることはしない」と伝えた時、ソニアはすかさずこう答えました。「この学校に通い始めてから、私はすっかり変わりました。完璧だと思えるような出来でないと、満足できなくなりました。作品に誇りを持ちたいのです」

自分の作品をクラスで発表する様子

私が学校や教育区を対象に行うコンサルティングでは、クラフトマンシップという倫理観が与える力と誇りを共有することに焦点を当てています。生徒の多くが、質より量にこだわる学校のランニングマシーンに乗せられていると私は感じています。生徒たちは毎日次から次へと課される膨大な提出物に追われています。

一方で、先生もその質の低い多くの課題を添削することに忙殺されています。生徒に返却された提出物は、往々にしてゴミ箱行きになり、生徒自身や周囲の人々が誇らしく思うような、心に残る意味深い作品は稀です。学校は、課題の量よりも、最終成果物の質を大事にするように変わる必要があります。

私の大工仲間には建築家をバカにする人もいます。私自身は建築家の友人もいて彼らを尊敬していますし、私の授業で生徒のデザインにフィードバックをしたり、知見を共有してくれた多くの建築家たちには本当に感謝しています。ただ正直なところ、私も大工の仕事をしている時に昼休みになると、建築家への文句大会に参加することはあります。

その中身は大体こんな感じです。建築家は自分でその家を建てるとなったらこんなおかしなものを設計するはずがない。大工だったらどんなものが適切かを理解しているのに、建築家は何もわかっていないのだ。彼らにあるのは実用的な知識ではなく、空想上のアイディアだけだ。

一方で、建築家たちも「大工叩き」をします。大工が設計図通りに建てると思ってはいけない。彼らは自分たちの方がよくわかっているからと、勝手に変更を加えたり手抜きをしている。大工は、自分たちが慣れているものに固執し、デザインにおけるイノベーションや創造的なアイディアを嫌っているのだ。

どちらが正しいのでしょうか? 大工と建築家、どちらの言い分も大切です。どちらの意見にも真剣に耳を傾け、受け止めるべきです。建物を建てる際には必ず両方の意見が必要なのです。

国の教育についての対話にも、同じことが言いたいのです。学校をよくするためのアイディアに溢れた設計者には事欠かない一方、現場にいる教師と対話しようとする人は皆無です。教育政策の立案者はメディアで注目されるのに、教師の声は全く取り上げられません。本書を執筆したのは、教育改革の対話に教師という少数派の声を届けたいからでもあります。

私の考えが他の人の声を代弁しているというつもりはなく、本書のアイディアはあくまで個人的な視点です。でも、私の視点が建築事務所ではなく、建築現場からの声であることは確かです。エクセレンスの文化に根ざした教育という目標を共有していても、本書で紹介する方法は、新聞の見出しや選挙演説で見聞きするものとは全く違うかもしれません。

教師であれば誰でも知っていることですが、テストや学習基準やカリキュラムを義務付けても、子どもたちから学びたいという気持ちを引き出すことができなければ、それらは何の意味も持たないのです。

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大工の仕事をする時、現場に着いてまず行うのは工具箱を開けることです。教育のコンサルタントとして新しい学校を訪れる時、最初に行うことも同じです。教育の場面で使うさまざまな手法が入った箱を開けるのです。

ただし、その中に学校改革のための設計図は入っていません。既に述べたように、学校の状況は多様で、エクセレンスを追求する教育の形は一つではないからです。設計図の代わりに、私が長年にわたって自分で開発したり、あるいは教員仲間から拝借したさまざまな手法を共有します。少なくともそのうちのいくつかが役立つことを願っています。

私が提供する手法とは、例えば戦略モデルメタファーです。これらの手法をどのような文脈で使えばいいのかを理解し、実際に役立つものにするために、私の教室で起こった事例もたくさん紹介します。

本書では、これらの手法を3つの「工具箱」に分類し、順番に紹介していきます。

最初の工具箱にあるのは「学校にエクセレンスの文化をつくる」ための手法で、第2章で見ていきます。生徒の思考や作品の質を上げようとする戦略はどれも、エクセレンスを追求する作品をつくることに価値を置き、そのための努力を支援するコミュニティを必要とします。

2番目の工具箱はことさら大きく重いもので、「エクセレンスを追求する学び方」がテーマになっています。第3章でとりあげるこの工具箱は、私がコンサルタントとして学校を訪れる際に最もよく使うもので、生徒の思考や作品の質を上げるための実践的な手法が詰まっています。

3番目の工具箱は「エクセレンスを教える」というテーマで、第4章で見ていきます。教育改革では「どんな先生でも教えられるカリキュラム」が人気ですが、これは教師を、あたかもガソリンスタンドで車に給油する店員と見なすのと同じです。「教える」とは、生徒の脳に単にカリキュラムの内容を「流し込む」ことではないのです。学校の教室で学んだことがある人なら誰だって、つまらない授業とワクワクする授業には明確な違いがあることを知っているはずです。

本書では必要な情報を参照しやすくするために、さまざまな手法を3つの工具箱という形で整理しましたが、実際にはそれらは密接に絡み合っています。私は学校でコンサルタントとして働く際、これらの工具箱のアプローチや手法のどれかが、その一部だけでも、役に立つことを願っています。本書でも同様の思いを胸に、私の学校教育についての視点や手法を共有していきます。

工具箱を開ける前に、私が考える「クラフトマンシップ」と「エクセレンス」というビジョンについてお話しします。第1章は、このビジョンを教育関係者と共有することを目指す、探究の物語です。

(注)ウェブ掲載にあたり、可読性向上のため改行等の調整をしています。


〈著者ロン・バーガーから日本の読者へビデオメッセージ〉

【書籍紹介】
子どもの誇りに灯をともす――誰もが探究して学びあうクラフトマンシップの文化をつくる
ロン・バーガー(著)、塚越悦子(訳)、藤原さと(解説)

子どもたちが自ら学び、可能性を切り開いていく学校とは?
全米屈指のPBL校ハイ・テック・ハイの教育思想に大きな影響を与え、現場の教師に20年読み継がれる教育書のバイブル、待望の邦訳。「提出して終わり」じゃなくて、何度もやり直して「美しい作品」をつくり上げる。生徒が、先生が、地域の人たちがワクワクする学校が生まれる!

ハワード・ガードナー氏(ハーバード大学教育学大学院教授)推薦
「本書は、才能溢れる教師、優れたクラフトマン、そして教育改革の中心的な存在であるロン・バーガー氏の生涯の経験に基づく必読書です。私がそうだったように、読者のみなさんも全てのページから学ぶでしょう」

[著者]ロン・バーガー Ron Berger
ハーバード大学教育学修士。EL Education シニア・アドバイザー。 40年以上にわたる教師・教員育成者としての経験(うち28年は公立学校で教鞭をとる)を活かし、国内外で講演活動を行なっている。ハーバード大学教育学大学院では、教育や学習を改善するために生徒の作品を利用することに焦点を当てたコースを教える。また、ハイ・テック・ハイの教育大学院でアドバイザーを務める。アネンバーグ財団の教師奨学生、オートデスク財団ナショナル・ティーチャー・オブ・ザ・イヤー賞を受賞。著書に『A Culture of Quality』、共著に『Leaders of Their Own Learning』、『Management in the Active Classroom』『 Learning That Lasts』などがある。

[翻訳]塚越悦子 Etsuko Tsukagoshi
翻訳業。カップル&パートナーシップ専門コーチ、アドラー & 幸福学ハッピーペアレンティング(子育てコース)講師。
東京大学文学部卒業、モントレー国際大学院行政学修士。国連勤務やJICAコンサルタントを経て2002年に渡米。日本語補習授業学校の事務局長として勤務し、バイリンガル教育に関わる。12年のアメリカ生活で夫婦関係や子育てに悩む人が多いことを痛感し、ライフコーチの資格を取得。また、出産をきっかけに受けたアドラー心理学をベースにした親子コミュニケーションコースに感銘を受け、インストラクターの資格を取得、サンディエゴでセミナーを行ってきた。2014年に日本へ帰国し、国際結婚やパートナーシップ、夫婦・家族関係をテーマにしたコーチングや執筆活動に従事。2019年夏から再びサンディエゴに移住、3子がハイ・テック・ハイに通学中。著書に『国際結婚一年生』(主婦の友社)、訳書に『異性の心を上手に透視する方法』(プレジデント社)、『アドラー流子育てベーシックブック』(サウザンブックス社)。

[解説]藤原さと Sato Fujiwara
一般社団法人こたえのない学校代表理事。
慶應義塾大学法学部政治学科卒業、コーネル大学大学院修士(公共政策学)。日本政策金融公庫、ソニーなどで海外アライアンス、新規事業立ち上げなどを経験。仕事をしながら子育てをするなかで「探究する学び」に出会い、2014年、一般社団法人こたえのない学校を設立。小学生向けの探究型キャリアプログラムを実施するほか、学校教育に携わる教師と学校外で教育に携わる多様な大人が出会い、チームで探究プロジェクトを実施する「Learning Creator's Lab」を主宰。2018年、経済産業省「未来の教室」事業の採択を受け、世界屈指のプロジェクト型学習を行うハイ・テック・ハイの教員研修プログラムの日本導入に携わる。著書に『探究する学びをつくる』『協働する探究のデザイン』(平凡社)など。

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