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第1回:24歳の私と、18歳の「娘」のはなし

「想定外の未来をつくる!」をコンセプトに、通年授業や放課後の時間にフリーペーパーやウェブマガジン制作などのプロジェクト型学習を行っている著者。連載初回は、ある高校生とのかけがえのない出会いを語る。

1994年生まれ。
4月に24歳になりました。
同級生の多くが社会人2年目の年。

はじめまして、石黒和己(わこ)と申します。大学院で教育哲学の研究をしながら、学生時代に立ち上げたNPO法人「青春基地」で社会に開かれた学校づくりを目指して、公立高校にプロジェクト型の授業を届けています。

山梨県の高校での授業風景。授業の裏テーマは「毎日校外学習」

そんな私には、ほとんど自分の娘のような存在がいます。現在、大学1年生と、かなり大きめの娘ですが、彼女との出会いは約一年前。「会いたかったあの人」に取材を通じて会いにいくという「青春基地」の放課後プログラムに、高校の先輩か誰かに勧められてふらりとやってきました。気づけばこの一年間、たくさんの時間を彼女と一緒に過ごしてきました。

「人生で、初めて振り返りたくなる一年間でした」
2ヶ月前、あるプレゼンで彼女はこう言ってくれました。色んな感情が湧き上がって涙が止まりませんでした。それは私の人生において、とても大きな出会いでした。

彼女はいわゆる「社会的擁護」と言われるしんどい状況で頑張ってきた子どもの一人。そんなわけで、高校の卒業式も大学の入学式も母親代理で出席。18歳になって施設を退出しなければならなくなったとき、住む場所が決まるまでの数週間、我が家で過ごしました。大学の必要書類の保護者欄にドキドキしながらサインもしました(保証人ではありません)。

この関係が正しいかどうかは分かりません。仕事にしてはもう距離が近すぎるし、そもそもどれだけ向き合ってもお金にはならない。距離が近過ぎることは危ういのかもしれません。

それに起業駆け出しの私の日常は、仕事や飲み会でほとんど毎日終電。それすら乗り過ごすことも。洗濯機は家にいるときは常に回さないと追いつきません。自分の人生も、時間も金銭も余裕のない状態で、これでいいんだろうかと毎日悩んでいます。

でも家族がいない彼女に、一体誰がそばにいるのでしょうか。
福祉の専門家でもなく、右も左もわからないまま、試行錯誤を重ねて戦ってきた一年間。それでも諦めずにいられたのは、彼女の明るさがあったから。彼女への敬意と感謝を込めて、私たちの奮闘記を綴ってみたいと思います。

希望が見えると言葉が豊かになる

はじめて彼女のしんどい状況が見えてきたとき、最初はミイラ取りがミイラになってしまいそうでした。映画のような、想像を超える暴力。今日もそよ風で木々が揺れる朗らかな日本で、必死に生きている子どもがいることを、人権が守られていない状況にある子どもがいることを、初めて「知った」瞬間でした。

そして、ここには書けないような出来事に、当事者ではないにもかかわらず共感しすぎて、しんどい日々が続きました。帰宅して力が抜けると、勝手に涙が溢れてくる絶望の手前のような苦しさのなかで、次に現れてきたのが強い憤りと怒りでした。

でも、怒りを抱けるだけでも現実を認める余力があるじゃないか、私が怒ってどうするんだと、しだいに冷静さを取り戻していきました。そんなときに、インターネットのある記事で、「自立とは、依存先の分散」という脳性まひの小児科医・熊谷晋一郎さんの言葉を見つけ、なるほど一人で抱えるからまずいのかもと気づき、その日から児童養護施設の方や専門職の方々と一緒に彼女に会いに行き始めました。そして詳しい状況は知らなくてもいいから、彼女をかわいがってくれる近所の人みたいな関係を一人でも多く築こうと思いました。

それから青春基地にいる時間だけでも、一瞬でも楽しい時間をつくろうと決意。楽しい時間が増えるほど、しんどい状況がむしろ浮き彫りになる苦しさもあり、迷いましたが、たくさん取材に出かけ、彼女の立ち上げたプロジェクトに伴走し、一緒に夏休みを過ごし、色んな仕事場に連れていきました。

未来のことは全部「わからない」の一点張りだった彼女が、大学進学と志望校を決め、高3の夏、慌てて大学受験のサポートもしました。夜な夜な面接の想定問答集づくりをし、入試当日は親代わりにと校門まで見送り。完璧に試験課題を調べ上げた彼女は試験官に褒められて帰ってきて、合格通知がきた時は号泣して抱き合いました。

「わかんない、わかんない!」そればっかり言う泣き虫だったのに、友達と立ち上げた居場所づくりのプロジェクトを発表した「マイプロジェクトアワード」で見事に全国大会出場。力強い言葉はめちゃくちゃかっこよかった。

同時にこっそり嬉しかったのは、ニュースも一切見ないし、全然漢字も読めなかったのに、言葉が豊かになっていたことです。語彙が増えている!と感動しました。人は「希望」がないと、未来を見据える「思考」という行為以前に、現状を認めることさえ苦しいのだとを知りました。「わからない」というのは、彼女なりに現状をペンディングさせる護身術だったのかもしれません。

できることは「待つ」こと

こうやって書いていくと「よかったねえ、ハッピーエンドだ!」という気持ちになってきますが、実際は今の状況も含め、正直きついことばかりです。ふつう「よっしゃ、頑張るぞ」と決意をしたら、大変でも道は切り開かれていくもの。でもこの一年間は、むしろ逆風に足元をすくわれないように、立つだけで必死という感覚でした。

たとえば彼女の奨学金。大学進学を決めてから急いでリサーチしている最中、施設から「施設退所後の責任は取れないので、緊急連絡先にサインできない」との一言。つまりエントリできない。給付型奨学金のため金銭的な責任が発生しないにもかかわらず、たった一言で道が断たれたときの気持ちたるや。彼女の場合は対象になる奨学金も限られており、その多くが時期的に〆切を過ぎているなか、奈落の底に突き落とされるようなパンチでした。

そうやって前進しようとするほど、課題が複雑に絡まりまくっていることだけが明確に見えてきます。その糸を解く腕力も知恵もなく、道のりは果てしなく長く感じました。私が逃げてどうするのだと、本人の前ではどん、としていますが、一人でいるとしんどくもなる日は、今だってあります。

なにか事件が起きた後、言葉にできるまで、もう一度前を向きたいと思えるまでには、本当に時間がかかります。一緒に過ごすのは、ほとんど「待つ」という時間です。

しんどい話は、誰より彼女がしんどい。だから、一緒いる時間の9割は楽しい時間を過ごすようにしています。それはごりごり仕事をしている時とは、ぜんぜん違う時の流れをしています。どんなに忙しくても、ぱたり、とパソコンを閉じます。

一緒に住んでいたときは、「今日の夕飯、どうしよう」とか「あれやらなくちゃ」とか、仕事中もあれこれ浮かんできました。他者に対して想像力をつかっている時間というのは、頭の中が行ったり来たりして、とても効率が悪いことを知りました。子育て中のお母さんってこんな感じで、いやもっと大変なんだろうなあと思ったりもしました。

でも本当はもっと仕事がしたいし、やってみたいことがありすぎる日々です。ごりごり仕事をしている人に会うと、自分がもの凄く置き去りにされている気持ちになります。

それでも私が彼女の力になりたいと思うのは、「助けたい!」という私の確固たる意思ではなく、彼女の明るさに圧倒されたからだと思います。その状況で、どうしてと不思議になるほどの明るさを持っています。なにか投げてみれば、想定の遥か上をいくものを見せてくれます。その変化に、一人の人間として純粋に敬意を感じ、追いかけてみたくなってしまいます。

「私がしてあげよう」とか「やらなくちゃ」とか、そういう責任や役割を超えた動機を抱けることは、本当に幸せなことなんです。最近これを「利他のうまみ」と名付けてみたのですが、誰かのための人生は、一度味をしめると、自分や会社のためだけの人生では満足できなくなるくらい、想定外のギフトが溢れていると感じます。

4月が始まり、また新しい一年の幕開けです。
今回はここで終わりますが、彼女のいろんな困難は未解決なことばかり。いいことばかりじゃなさそうですが、今年はいったい何が起こるでしょうか……ぜひ一緒に、彼女を見守っていただけたら幸いです。

この連載では、私たちが立ち会った現場や日常の中で浮かび上がった違和感や自分の揺らぎを共有し、読者のみなさんとぜひ一緒に考えていきたいと思っています。一つ一つの現場が社会課題の縮図であり、それらの現場にじっくり向き合いつづけるからこそ見える景色があると感じています。

どうぞ、この試行錯誤の旅に、時々お付き合いくださいませ!

石黒和己(いしぐろ・わこ) NPO法人青春基地代表理事
1994年愛知県生まれ。2015年、大学3年次にNPO法人青春基地を立ち上げる。一人ひとりの将来に「想定外の未来をつくる!」をコンセプトに、全国の公立高校や放課後で、好奇心や探究からはじまるPBL(プロジェクト型学習)を中高生に届ける。
中高時代は、シュタイナー教育という教科書も試験もない自由な環境で過ごす。学生時代は、文京区立の中高生向け施設「b-lab」の立上げに参画。2016年社会起業塾イニシアティブ選出、2017年新公益連盟加盟。慶應義塾大学総合政策学部卒、現在は東京大学教育研究科に在学中。趣味は植物観察、河合隼雄、南方熊楠、牧野富太郎、星野道夫をリスペクト。(noteアカウント:wako_i

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