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改革という名の戦争——『国をつくるという仕事』特選連載6(西水美恵子)

元世界銀行副総裁・西水美恵子さんの著書『国をつくるという仕事』を2009年に出版してから10年。分野や立場を問わない様々な方たちから、「本気のリーダーシップ精神に火が付いた」という感想をいただいてきた本書から、10周年を機に特選した10のエピソードを順次公開いたします。
今回は、パキスタンにおけるある汚職事件に対する戦いと、そこから始まった大改革を綴る「改革という名の戦争」をお送りします。

(注)本文中の漢数字は、WEB掲載に際し読みやすさを考慮して算用数字に改めた部分があります。また、数値データはすべて執筆当初のままとなっています。


1 開戦

確かに1989年、新春の出来事だったと覚える。もうとっくに「時効」なのだから、思い切って話そう。

イスラマバードの深夜、電話にたたき起こされた。そのころ、トルコやパキスタンなど数カ国の金融部門融資部長に着任したばかりで、パキスタン銀行界の現状を調べていた。その調査チームの大物コンサルタント、C氏からだった。「ロビーからかけている」と小声で、その後が続かない。礼儀正しい英風パキスタン紳士の、真夜中近くの非常識。ピンときた。「そのまま待って」と、ホテルの部屋を飛び出した。

一瞬、人違いかと我が目を疑った。人っ子一人いないロビーの薄暗い片隅に、C氏がいた。長椅子に、濡れた雑巾のようにうずくまっていた。この国では希有の「本物」銀行家で、一時は中央銀行の要職も務めた彼。その人のいつもの立派な押し出しが、かき消えていた。駆け寄った私を見上げる目は脅え、差し出す手が震えていた。「ヘルプ・ミー(助けてくれ)」。あのときの彼の声は、いまだに耳の奥に残る。

寝ぼけ眼のコンシェルジュを叱って用意させたお茶に、落ち着きを取り戻したC氏は、首相官邸からここへ直行したと話しはじめた。「とうとうミスター10%に呼び出されたのね。それともマダムのほうかしら」の問いに「あいつらは、金もうけには一心同体だ」。ベナジール・ブットー首相夫妻のことだった。夫のアシフ・アリ・ザダリは、海外直接投資など大型案件に1割の袖の下を要求することから、ミスター10%のあだ名がついた。

「あなたの財産の10%など、雀の涙にもならないでしょう」。高利貸しを悪とするイスラムの教えのもと、銀行家がもうけ過ぎてはいけないと質素な生活に徹する人だ。が、笑わせようと思って言ったことをすぐ後悔した。「いや、一番大切な財産をねらわれた」。ミスター10%が、偽のプロジェクトへ多額の融資を要求した。世界銀行の調査から手を引けとも言った。もちろんきっぱり断ったが、自分の命どころか、妻と娘の「身の安全」も保証できないと言い渡された。C氏の顔に青い怒りが走り、大粒の悔し涙がツツーッと落ちた。


良妻賢母の模範のような夫人と、結婚をひかえたお嬢さんの美しい顔が目前に浮かんだ。権力者の悪を、生まれて初めて肌で知った。抑えきれないものが、腹の底から爆発した。「卑怯者めが」と怒り立つ私を、今度は彼が慰める番になってしまった。

C氏の表情に、いつものカリスマがゆっくりよみがえってきた。「自分の命は神のもの。腐り切った銀行界の改革を断念したら、アラーに見せる顔がない。妻と娘のことは心配無用。英国の親類に預ける」。ただ、下手に動くと「ミエコさえ危ない」と心配する彼に「私だって仏に見せる顔がない」と笑った。

よし、開戦だ。改革の長期戦略を立てよう。政治作戦を練ろう。パキスタン駐在員もたたき起こして3人頭を寄せ合って、まるで軍事会議の様だった。白々と夜が明けるまで続いたあのときの興奮と情熱は、いつになっても忘れられない。

さっそく翌日、短期作戦を開始。いろいろな経路を通じて、首相官邸へ警告を発信した。世界銀行コンサルタントへの脅迫は、すなわち責任者である自分への脅迫と受ける。本気なら、こちらにも覚悟がある。手始めに、総額5億ドルのパキスタン金融部門融資五カ年計画を全面停止とする旨、ただ今考慮中。

事実なのかは知らないが、時代遅れのイスラマバード電話回線が、その日一時パンク状態となったと聞いた。そうして予想通り、さも慌てたように来た首相との会談要請は、蹴った。

その代わり、すでに悪事の証拠を握っていたある大臣に会見を申し込む。国営銀行へのさまざまな政治介入、膨大な不正融資の仲介、大臣個人と一族の巨額な債務不履行など、一件、一件、把握した数字を連ねながら指摘した。パキスタン銀行法違反になるのはもちろん、昔の世界銀行融資を返済中の国営銀行だから、貴国と当行の契約すなわち国際条約違反でもある、と言い渡した。

役所に女性用のお手洗いなどなかった時代で、この大臣専用の部屋を時々拝借していた。だから、私が一人で会いに来ると聞いて、お礼の表敬訪問とでも思っていたのだろう。虚を突かれ、たじたじとなった大臣が、下手な言い訳を述べはじめたのには驚いた。喧嘩覚悟の身構えを解くのに苦労した。たった一人同席していた大蔵省参事官がていねいに書き留めた会談記録は、後日、法的に自白同様となったと教わった。複雑な気持ちだった。

パキスタン中央銀行幹部や銀行界の若手改革派に人望の厚いC氏のこと、彼の活躍は見事だった。やめるどころか大々的に調査の手を広げ、次々と改革同志の輪を作り、金融界の外へも拡大していった。世銀もIMFと協力。世界第一線の銀行監査専門家らを中央銀行へ送り込んだ。70年代初期、ズルフィカル・アリ・ブットー政権に国営化され、パキスタン銀行部門のほとんどを占める国営銀行5行の立ち入り監査となった。

調査結果は想像を絶するひどさだった。報告には「銀行とは呼べない」とあった。政治家、官僚の天下りや、彼らの縁者と選挙地区住民の雇用で肥満した「雇用機関」。権力者が提出する架空プロジェクトに融資して、債務不履行に知らん顔の「小切手印刷機関」。みなそろって破産状態で、大英帝国時代からの由緒ある歴史を汚していた。

その補填見積もり総額は、国家財政の破綻と資本の国外逃避への連鎖反応を示唆していた。すでに、悪化した財政赤字と国際収支赤字にあえぎ、IMFの介入で食いつないでいた国だから、時限爆弾を抱えているようなものだった。そして調査は、根本の原因を、200家足らずのパキスタン権力者「ファミリー」にあると突き止めていた。

改革同志に、パキスタン一流新聞の論説主幹たちが加わったときは、躍り上がって喜んだ。腐った政治家に改革は期待できぬ。我らが世論を動かさねば国が危ない。愛国心にあふれる老練ジャーナリストは、専門的な調査結果をかみ砕いては一般読者に分かりやすいように報道した。パニックを招かないようにと、記事や社説にいろいろな配慮をすることも忘れなかった。時には母国を想えと厳粛に、時にはおもしろおかしく、国民の良心に訴え続けた。ジャーナリズムこうあるべしと、ほれぼれさせられた。「ファミリー」の名前を列挙した記事には、さすが大丈夫かと心配したが、軍の後ろ楯があるからと平然としていた。なるほどこの国はそういう仕組みなのかと、目から鱗が落ちた。それでも動じない「ファミリー」の傲慢さには、驚き、あきれた。


それから10年、政権交代を3度[1]も経て一進一退、紆余曲折の長い戦局となったが、改革の勇士たちはあきらめなかった。中央銀行の独立化と人材育成、金融訴訟専門の裁判所組織の立ち上げや裁判官教育などと、地味でも重要な活動を続けた。99年夏、ナワズ・シャリフ[2]政権二期目、銀行部門構造調整大型融資の世銀審査が可能な状態にまで漕ぎ着けた。

しかし、改革の指導者として苦労した中央銀行総裁が、時熟さずと許さない。改革の政治意志は金ほしさの口先のみ。どうやっても「首相のファミリー」が動じない。そうだミエコが切り札になれ、と言い出した。


2 約束

覚悟してパキスタン首相官邸に入ったのは、1999年9月12日正午前だった。正面玄関の車寄せに降り立ったとき、小春日和の柔らかい陽射しになぜかほっとしたのを覚えている。

首都イスラマバードは、58年にカラチから遷(うつ)された。良港に恵まれた商業都市カラチの混雑や水不足を避け、経済活動の一都市集中化を防ぐのが遷都の理由。政治とカラチの金の間に距離を置くためとも言われるが、権力者のしがらみや人間関係は、そんなことでたやすくは消えない。

遷都でもうけたのは、パキスタン航空。イスラマバード– カラチ間を日に数回往復するジャンボ機はいつも満席。首都へ陳情に出向く実業家など、各界要人の良いたまり場になっていた。

中央銀行は、金融の中心カラチから動かなかった。銀行改革の同志への表敬とイスラマバードの政治家や官僚への失敬を意図して、パキスタン入りはカラチからと決めていた。まず中央銀行で、総裁の掛け声に集合した同志たちと会談、改革の経過や苦労話、今後の作戦などを聞く。それから、待ちかまえる報道陣に「捕まる」。テレビもラジオも新聞も、我が株主国民に話しかける貴重な機会をくれるのだから、彼らの納得がいくまで時間を割く。

新顔記者が混じったときには、古顔連中と一緒になって金融の初歩から改革の理由までの即席講義となる。総裁の飛び入り出演に、皆とうれしい思いをしたこともあった。正しい情報はイスラムが教える良い民主主義の糧、報道界の仕事は国づくりにとって大切な神職だと、たびたび彼らを励ました。テレビ・ラジオの報道陣には、字が読めない多くの国民を忘れないでと頭を下げた。

それが出張第一日の日課だったから、パキスタン航空の「たまり場」は頻繁に使わせてもらった。搭乗するたびに「やあ久しぶり」と、よく声をかけられたものだった。偶然の出会い、噂話、時には改革勇士の勧誘と、首都までの2時間はいつも愉快だった。

が、その日は違った。中央銀行総裁の「切り札になれ」を受けたはいいが、どうしたらナワズ・シャリフ首相の「ファミリー」を銀行改革の味方にできるのか、あても何もない。一昼夜ああでもないこうでもないと悩んだ末、迷いながら乗り込んだビジネスクラスが一瞬シーンとなった。あ、もう「切り札」が噂になっているなと感じた途端、なるようになれと肝が据わった。


首相官邸は、イスラマバード北東の角、ヒマラヤ山系の起伏が緩やかに始まる丘に門を構える。関西人が東京を嫌うように、歴史や文明の匂いがしないイスラマバードをどうしても好きになれなかったが、特に首相官邸は大嫌いだった。その昔インド大陸まで勢力をのばしたムガール王朝の優雅な建築様式を、あきれるほど下手に真似た建物だ。大理石をふんだんに使い、化粧室にシャンデリアがぶら下がる成金趣味で、広大な敷地には贅を尽くしたポロ競技場までがある。訪れるたびに無駄遣いと怒り、この官邸一軒でいくつの村に電気水道が引けるのかと計算しては頭にきていた。

その無駄遣いの発起人がシャリフ首相で、「ファミリー」に大もうけをさせたと言われる。第一期目(1990〜93年)は、ベナジール・ブットー首相と同様、憲法上の政治無能・汚職を理由に大統領に解任された。彼の父は、小さな鋳鉄部品工場から財閥イテファク・グループをたたき上げた豪傑。首相は父親に頭が上がらず言うなりだというのが、ちまたの噂だった。

当時、悪化する経済状態とそれに拍車をかけるような政治にパキスタンの長期リスクを危ぶんで、新規融資は停止していた。経済政策議論など毛頭できない首相だったが、初対面のとき、これだけは知っておいてくださいとマクロ経済のからくりを簡単に説明したら、喜んだ。心を開いて付き合える政治家ではなかったけれど、以来いつも気さくに会ってくれて、経済学のABC的な会話が続いていた。

その日は昼食をよばれた後、人払いを頼むと、気軽にお気に入りの居間へ誘ってくれた。こぢんまりした部屋に開かれた窓からは、ヒマラヤへとせり上がる山々が、庭の続きのように見えた。カシミールの血をひく首相は、あの山のむこうが自分の故郷だと目を細めた。ふとアマ(母)の笑顔が山景色に重なった。「私の心の故郷もあの山のむこうです」と、アマの村のことを話しはじめた。(「カシミールの水」参照)

日に7時間近くを費やす水汲みの苦労を話し終わったとき、首相は真っ白なハンカチを取り出して、目をぬぐっていた。気付かぬふりをして山の彼方を見ていたら、ミエコの故郷に水道を贈ろうと言う。断った。志はありがたいが、あの村人はそういう政治を好まない。我らの村が水道をもらっても、他のカシミールの村々はどうなる、「下界」のパキスタンの貧村はどうなる、と案じる人たちだから。

首相には、たったひとつの水道より、もっと大きな事を成す力があると言った。身をのりだす彼に、水道を引くための、村の貯金のことを話した。そのささやかな貯金が危ない、と続けた。以前から進言していることだが、国営銀行はいつ破産してもあたりまえ。そのとき困るのは金持ちではない。カシミールの村人のように、小さな貯金に人生の夢を託す多くの民が犠牲になる。

銀行改革を支持すると約束したのを忘れたのか、と首相は言った。男は約束を守るとふくれる彼を、女のほうが守りますよと笑わせて「それでは本物の男になってください」と頭を下げた。

真剣勝負の時がきた。

「人様の大切な金を貸す銀行家として進言する。たとえ首相でも、口約束だけで融資はできない。行動で政治意志を示してほしい。貴国の勇士たちが練り上げた銀行改革案は見事。我が国日本に煎じて飲ませたいほどだ。しかし、トップリーダーの一族が債務不履行ファミリーである限り、銀行界の立て直しは不可能と判断する。恐れ多くも人の上に立つ指導者は、身辺を清め、民の模範となるべく努力すべし。それこそ政治生命の源だと考える」

注意持続時間が異常に短く、感情的に反応する人だ。どうなることかと身構えていた。が、静かに聴き終えた首相は、私から目を外さなかった。先に外した方が負けだと思った。そのまま、気が遠くなるほど長い沈黙……。

ふと、柔らかい陽ざしが彼の瞳を洗ったように感じた。

「本物の男として約束する。家長としても約束する。1カ月後までに、全額を清算する」

「カシミールの村人、いや国民に代わって、お礼を言う」と再度頭を下げたら、不本意にも涙があふれてしまった。首相が慌てて渡してくれたハンカチは「洗って本物の男に返します」。拳骨でもらい泣きの涙をこする首相と顔を見合わせて、大笑いになってしまった。

そして待つこと1カ月。首相の「ファミリー」が借金の返済を始めたという噂が広まり、他の「ファミリー」にも右にならえの徴候が見えてきた。

約束の10月12日。首相の電話を今か今かと待っていた私に、カラチの同志から緊急連絡が入った。クーデター突発の連絡だった。

机上の、真っ白に洗いあげておいたハンカチが、急に色あせた。しばらく声も出なかった。


3 民意

1999年10月12日にパキスタンで突発したクーデターはその日のうちに終結をみた。幸いにも無血に終わり、国民に動揺は窺えず、かえって皆ホッとしたようにさえ見えた。腐った政治が終わったと躍り喜ぶ男たちの姿に、その腐った政治家を選んだのはいったい誰なのだとテレビの画面を怒鳴りつけた。民主主義政権への復帰期限を明示せよと騒ぐ日欧米諸国の態度に、国家の富を搾取し国民を騙し続ける政権を民主主義と呼ぶのか、現場知らずか国際政治の嘘かと憤慨した。とにかく悲しかった。

あのとき初めて、組織改革をしておいて良かったと思った。世界銀行を草の根に近づけ、行員の意識改革をねらい、まず南アジア局を模範にと断行した。各国担当局長を現地在留にして業務全権を譲り、従来の本部指導型をひっくり返した。専門職員の現地採用を常識化、本部職員との間にあった根強い差別待遇も消していった。各国事務所には、国内や海外在留の民間層から驚くほど優秀な人材が集まり、無理だと言われた女性専門職員も増え、ほしかった「土地カン」以上の効果があった。職員全体の国づくりへの情熱にも、沸々としたものを感じるようになっていた。

世銀が後れをとっては大変、新政権に「参上」してくれと早々腰を浮かす部下たちを、今が大切、下手に動いたら国づくりの長期戦に負ける、我慢我慢とたしなめた。世銀株主、1億4,000万の国民の意を聴くことが第一。私たちの情報網に自信を持って、草の根を歩き回ってくれ。どんなに時間がかかってもいい。ただ、チームの団結を忘れずに、この仕事を楽しんでと促した。

どうせ新規融資は数年来停止しているのだから、短期作戦は知識の融資。経済政策に素人の軍政権には、世銀が持つ知識と分析力が必要なはず。それを積極的に提供しながら、破綻した経済の建て直しに軍がどう動くのか、行政能力の様子を見守ることにした。

クーデター翌年の夏、株主のために早く来いと部下に叱られた。パキスタンは多民族連邦国家。おおまかに言えば、主な民族がバルチスタン州(バルチ族)、シンド州(シンド族)、プンジャブ州(プンジャブ族)、北西辺境州(パタン族)を成し、多くの少数民族が世界史の吹きだまりのように隠れ住む北方領土とカシミールがある。北はK2で有名なヒマラヤ山脈系から南の北回帰線まで、面積は日本の2倍強。部下の「民意」に関する報告を、せめて肌ででも確かめようと、各州と北方領土に1週間ずつ費やした。ホームステイしいしい、草の根を歩き回った。

やっとイスラマバードに到着した夜、タブーなはずのディスコ歓迎パーティーに驚いた。踊りが好きな私を餌にして、イスラムの古い風習を破りたいという部下の熱い思い。無駄にしては副総裁失格と、誰彼おかまいなく、戸惑う客人を釣っては楽しませてもらった。

アジズ大蔵大臣(当時、04〜07年首相)が、踊りながら嘆いた。「明日、ボスは元首相官邸で君と会うが、官邸のぜいたくを嫌い、たまに公務に使うだけ。警護上、自宅から引っ越してくれといくら頼んでも、首を縦に振ってくれない」。思わず「気に入った」と手をたたいた。

翌日、待ちくたびれたと微笑んで手を差し出すムシャラフ将軍に「理由はどうあれ、民主主義のたどる紆余曲折の学習を軍政権が切断することは邪道。だから失敬した」と言った。「君の考えは聞いていたが、はっきり言ってくれてうれしい」と本当にうれしそうな彼の表情に、軍人のマスクはなかった。「軍服が似合わないリーダーに会うのは、初めてです」と笑ってしまった。


シャリフ首相は、97年2度目の就任後、まるで鬼になったように権力集中化に執着した。国民投票率は史上最低でも地滑り的圧勝だったから、国会を意のままに操った。まず憲法を改正し、大統領の首相解任権を削除した。汚職罪を告発されても無視し、最高裁に次の矛先を向けた。首相を告訴しようと動いた最高裁長官を解任して、どうみても不適任な人物を任命した。残るは軍。クーデターの歴史をくり返してきた軍の権力を弱めようとやっきになって、さまざまな政治介入を続けた。

目にあまる権力乱用に、陸軍参謀総長兼総合参謀本部議長のムシャラフ将軍は真正面から進言、ぶつかってきた。イエスマンを好む首相と歯に衣を着せぬ将軍は、もちろん犬猿の仲だった。

独立以来、国家の近代化を支持し続けてきた軍の指導者層は、イスラム穏健派で占められていた。しかし、過激派的な思想に傾く幹部が増えつつあり、特に軍に属するパキスタン情報機関に多かった。首相は、情報機関長官(ジアウディン中将)を陸軍参謀総長とし、軍指導者層の不和と内乱、軍組織の不安定化を図った。

クーデター当日、ムシャラフ参謀総長は公式訪問でスリランカにいた。コロンボ時間午後4時頃、将軍夫妻を乗せたパキスタン航空805便カラチ行きが離陸した直後、首相は将軍を解任、ジアウディン中将を後任に任命した。しかし、機上の将軍を大向こうのはるか彼方に置いたまま軍総指令部に出向いた中将は、閉め出しにあった。軍の伝統を知らないのか、指揮権譲渡は前任者が同席のうえ成すことだと、追い返された。慌てた首相は、次にとんでもない命令を出した。805便は国外追放、着陸を拒否せよ。自らクーデターの引き金を引いてしまった。感情的に動きすぎる首相を思い出し、ばかなことをと開いた口がふさがらなかった。

旋回を続けるカラチ上空、コックピット内の将軍は着陸拒否の説明をせぬ管制塔に苛立っていた。突然、朋友イフテカー将軍の声が無線の上に躍った。「本日午後5時、閣下が解任されました」。

無事着陸したとき、クーデターは終了同然だった。


「残った燃料は飛行時間7分。自分は軍人、いつでも死ねる。だが、あのジャンボ機は民間人で満員だった。女子供が多かった」と身震いする将軍。彼の目に濡れた光を見て、この人はいつも本気だなと感じた。

クーデター後の、彼の国民へのメッセージを思い出した。

「パキスタンは今運命の岐路に立つ。我らの手によって成すか壊すかの運命の岐路に。52年前、我々は希望の光のなかで国づくりを始めた。今日、あの光は消え、我らは暗闇に立つ。しかし、失望はよそう。私は楽天家だ。我が国の宿命を信じる。国民を信頼し、我が国の将来に確信を持つ」。

99年10月17日、あのスピーチを聞いたとき、将軍の言葉を疑った自分を恥じた。

最高指揮官不在のクーデターの「不思議」を将軍に尋ねた。ビジョンと価値観を明確にし、組織の隅々まで浸透させるのがリーダーの大役。最下位の兵の心までしっかりつかみ、皆と一心同体となることなしに、人間の良心に反する人殺しを職業とする組織はつくれない。我が軍の使命は、母国の国体持続を命をかけて守ること。口先だけの使命感ではない、軍人一人ひとりのハートにある。シャリフ政権が母国を大危機にさらすと確信したとき、軍が動いたのは当たり前だと平然としていた。

この人のリーダーシップ精神なしに、あのクーデターは起きなかったと感じた。「ムシャラフは立派な指導者。彼に国運を賭ける」が草の根の声だった。皆まるで口をそろえたように言っていた。

やっと納得した。我が株主の民意は正しいと確信した。心底すっきりした。


4 ボス

We will not fail(失敗はせぬ)が口癖のムシャラフ将軍は自称「楽天家」。彼の声はいつでも明るかった。聞いただけで自信が湧いてくるから不思議だったけれど、後にも先にも一度だけ違う声を聞いたことがある。

初会談のとき。クーデターの話から本談に入る矢先、彼の声がふと寂しそうに翳(かげ)った。「トップの視点はおもしろい。見えなかったものが見えてくる」。隣席のアジズ蔵相が、心配そうに「ボス」の顔を窺ったのを思い出す。知っていたつもりだったがと、将軍は続けた。想像を絶するほど深刻
な経済の破綻に驚いた。組織制度化され、マフィア化した汚職のひどさにも驚いた。その汚職が国家経済をここまで追いやった事実に仰天した。

「いったいどこから手をつけたらいいのかと、軍人キャリア35年目に初めて動揺した」と苦笑する将軍に、12年前パキスタンに出会ったとき、自分もそうだったと白状した。経済学博士の君でもかと目を丸くする彼を「将軍の君でもか」と笑わせて、改革は戦争でしょうと目を丸くし返した。やはりそうかとうなずく彼に、ならば将軍の専門ですねと笑ってたたみかけた。「敵は、戦略は、作戦は、将軍?」

すらすら答えてくれた。「敵は貧困。戦略はgood governance(正しい統治)。我が国が抱える国体持続の長期リスクは、貧困につきる。政府、
民間、あらゆる部門から汚職を追放せねば、このリスクの解消は不可能だ」

彼は知っていた。人間が人間として生きるための最低限の「安全保障」は、心身の健康と、胸に灯す希望なのだと。貧しさとは、この保障がないことだと。そしてその原因が、止むことを知らぬ権力者の搾取にあるとき、貧民がもつ捨て身の鬱憤の恐ろしさも知り抜いていた。暴動、犯罪、過激思想にはけ口を見つける人口が増える国。その行く末は、国体消滅の危機なのだと。

アフガニスタンの悲しい歴史が示唆すると彼は言った。貧困解消すなわち「人間安全保障」イコール「国家安全保障」。貧困を敵とする改革の戦略は、そのまま国家安全保障戦略につながる。戦争だ、人を殺(あや)めず母国を生かす戦争だねと、うれしそうな将軍の笑顔が無邪気だった。

画像3ムシャラフ将軍(左)と議論を重ねる筆者

しばらく、草の根体験を比べ合った。「人間安全保障」を脅かす汚職を語る将軍の声は熱かった。

病に倒れたらどうなるというぬぐいきれない恐怖感。債務不履行労働すなわち奴隷制度、臓器や眼球の密売、売春、小児売買、餓死。地獄は紙一重の現実なのに、そ知らぬ顔で横行する公共医療制度の腐敗。医療器具や薬品の横領。年金目当てに公立病院に名を連ね、民間で稼ぎまくる「幽霊医師団」。GDP数パーセントの公衆衛生医療費予算はどこに。死にたきゃ公立医院に行くさと、せせら笑う人々。

「心身健全なる母なしに、国は滅びる」と、彼は貧しい女性の苦労も熟知していた。彼女らと子供たちの筆頭死因はかまどの煙。電気は室内空気汚染という死神を消す。水道の効力は水中伝染病をなくすだけではない。女性に毎日平均6時間の余裕を授け、家族の衛生管理や読み書きを習う時間を恵む。なのに、電気も水道も、高額の賄賂なしには拒否される。電気水道料金を活動資金に私腹する労働組合。赤字補填を当然のように要求する国営会社。

貧民に共通するたったひとつの希望は子供の教育。「幽霊教師」を筆頭に、その希望さえも裏切る教育制度の汚職。徴収した税金を制度的に山分けする税務署。金さえあれば悪を正にし、告訴文献消滅など朝飯前の司法機関。賄賂なしでは動かない警察。法的に自由裁量の権限を拡大しては収入源とし、民間企業や一般市民の経済活動を妨げる国家公務員。泣きたいほどひどい話は尽きなかった。

どれもこれも改革せねばと憤る将軍に、戦敵と戦略は同意するが、作戦がないと文句をつけた。軍政権だからこそ民の支持が重要だと考える。どこから手をつけていいのか迷うほどひどい状態でも、戦線が多すぎる。人間は変化に不安を感じて嫌うから、改革は柵しがらみの損得抜きに誰にとっても痛い。

「負け戦で当たり前だな、おもしろい!」と将軍が軍人の声で受けた。勝ち戦に変えよう。戦線を絞って勝利の連鎖反応をねらい、改革の痛みに挑戦する勇気を育む。国民がすぐ肌に感じうる教育や公衆衛生医療改革。民間企業が改革の成果を早めに糧とできる銀行改革や税務署改革。「プラスの成果が早く出る改革から手をつけるのが作戦だな」。二兎を追う者は一兎をも得ず。さすが将軍、軍服が似合うと感服した。

緻密な相互関係が経済機構と市場の常だから、本気本腰の改革ならば、その輪は必ず他の部門に広がると言うと、うなずいた将軍が補った。「国民の参戦も作戦のうちだろう。多くの人々に手伝ってもらわねばできない改革ばかりだ」。思わず「Smart!(賢い)」と言ってしまい、口を覆って赤面した。官邸に爆笑が響いた。


初会談を終えた晩、アジズ蔵相(元シティ・バンク副社長)が食事に誘ってくれた。「ボスが選んだチーム」に会ってほしいと、内閣総ぞろいだった。銀行改革の同志ら数人、親友のジャラル教育大臣、民間企業CEOなど、長年友好を温めてきた人々の顔が多い中、初対面の科学者や、アジズ蔵相のように海外在留が長い人もいた。ほとんど皆、将軍とは面識もなく「ある日突然、面接に呼ばれた」人たちだった。クーデターは嫌いだけれど「ボス」に惹かれたと口をそろえて言う。うらやましかった。

例外はただ一人、ムシャラフ将軍の恩師、元防衛大学教授だった。腐りきったパキスタン国有鉄道に昔の栄華をよみがえらせたいと自ら望んで入閣した鉄道大臣だ。若き日の将軍の思い出をおもしろおかしく語っては皆を沸かしていたが、なぜ自分が入閣を望んだのか、知っておいてもらいたいと私に言った。

「65年、第二次印パ戦争のある夜、インドの砲撃が弾薬倉庫を直撃したことがあった。戻れ! と声をからして命令しても、兵士は我先にと逃げ散る。ふと見ると、燃え上がる倉庫の方へ土を蹴って走る影絵姿が火の手の明かりに浮かびあがった。青年将校ムシャラフだった。その姿に気付いた兵士たちが一人、二人、三人、続々と後を追い、倉庫の爆発をくい止めた。自分が正しいと信じる事は捨て身でやり通す。だから、人がついてくる。ムシャラフはそういう男だ」。食事の手を止めて聞き入っていた大臣たちの頭が、そうだそうだと一緒に揺れた。

将軍は猛烈な勉強家だった。自分の頭でわからない事に最高責任はもてぬと専門家に教えを請い、主流から外れる見識を広く求めることも忘れなかった。改革に導入する型破りの人選には、人を見る目があるといつもうならされた。イエスマンを避け正面からぶつかる人材を好む姿勢は、改革の同志に勇気を与え、行政の質を上げた。縦割りを嫌い、内閣と各省次官らにチーム精神を徹底的に叩きこむから、改革の輪が加速しながら広がっていった。

めざましい進展が始まった。世銀の部下たちは、うっかりすると改革に取り残されてしまう、とうれしい悲鳴をあげた。だが、世界は冷たかった。そっぽをむいたままだった。


5 合掌

アジズ蔵相が嘆いた。「国際援助社会は聞く耳を持たない。構造調整大改革を進めている、決して援助ほしさからではない、国家安泰のための真剣勝負だと話すが、まるで信じてもらえない」。ブータン出張中、相談したいとの連絡に、帰途イスラマバードへ飛んだ。9・11同時多発テロの前年、2000年の冬のこと。パキスタンがもうすぐ日豪英米の「ダーリン」になるなど、夢にも思わないときだった。

長年、口先上手の約束守らずで援助の利を動かし甘い汁を吸ってきたパキスタン政府に、国際援助界はいいかげんあきあきしていた。それに1998年の対インド核実験返答、翌年のクーデター、と重なったのだから無理もない。G7の経済制裁もあって、日欧米を筆頭に世界の目は冷たかった。だが、援助側にも責任がある、冷たすぎると思った。

援助のよしあしは金額とは無関係、政策やガバナンスの質の判断で決まる。誤ると被援助国の悪い柵を増長する。パキスタンは、その典型的な例だった。本部指導型で現地駐在員を窓際族のように扱う援助機構の仕事に、この副作用が大きい。まして近年の対アフリカ援助のように国際政治と報道界の注目を浴びるとなると、目もあてられない。

そして日欧米は、パキスタンを軽視し過ぎてきた。国家安全保障戦略を地球の観点からしっかりとらえていたなら、中国・インド・パキスタンの三角関係を重要視したはず。そのジオ・ポリテイックスの要役者が核保有能力を持つことは、長らく周知の事実だった。平和を真剣に考えていたなら、インドと並んで核不拡散条約加入を拒否する国だからこそ、息の長い外交戦略を続けたはず。金の力に頼らず良い指導者を育む援助を、長期外交対話の戦略手段として利口に使ってきたはずだ。

なのに、二国間援助は熱しやすく冷めやすく、特に米国の態度はひどかった。都合のいいときは金をばらまき、悪くなれば切り捨てる。ソ連のアフガニスタン撤退でパキスタンが役立たずとなると冷め、93年、核不拡散条約加入拒否を機に大所帯を構えていたUSAID(米国際開発局)を突然閉鎖した。そういう醜態を目にするたびに「近眼」政治家の世論に対する安易なごまかしか、中央指導型で現場背景を把握できない外交界の尻ぬぐいかと、憤りを覚えた。


ムシャラフ将軍と瓜二つの「楽天家」蔵相が、肩を落として言った。自分も元銀行家、一度失った信頼を取り戻すのは難しくて当たり前だと考える。しかし、我が国に対する偏見には空恐ろしいものがある。蔵相と見事なチームワークで、苦しい国際収支の管理を続ける中央銀行総裁も落胆を隠さなかった。国際援助を復活して、改革を経済成長に転換する時期を早めたい、雇用率を高めたいと嘆いた。二人並んでの浮かぬ顔に、これはいけない、自分が楽天家にならねばと覚悟した。「一心値万宝(いっしんまんぽうにあたう)」。どこで学んだのか忘れたけれど、大好きなこの言葉で励ました。そんな顔は、世に稀な蔵相・総裁チームに似合わないと笑った。

ムシャラフ将軍も加わって、作戦会議となった。戦線がまたひとつ増える、援助界が敵になるとは思わなかったと言う将軍に「敵は陣内、外にはいない」と反論した。信用をここまで落としたパキスタンの過去が敵なのだ。その過去と戦う現場を、援助界に見せねばと言った。無駄だ、各国大使はもう周知のはず、援助機関の駐在員もそうだ、と苦い顔。「中央集権型で縦割りの行政を直そうと努力している本人がおかしいことを言う」と議論した。世界中の政府、機構もそうなのだ。「本部の司令官」に直接見せねば時間がかかり過ぎると反対した。なるほどとうなずきながらも、半信半疑の将軍だった。

国際援助界は、毎年パリ世銀事務所で被援助国別に会議を開く。世銀副総裁が議長を務め、被援助国からは蔵相ら数人が参加するのみ。援助金の公約額に注目し過ぎ、中身はお祭り的な会議を変えようと努力していた最中だった。パキスタン援助国際会議は、核実験以来滞っていた。再開しよう、百聞は一見にしかず、恒例のパリからイスラマバードに移そうと提案した。パキスタン政権の指導力の見せ場、従来の世銀主導型を廃止して、準備から運営まで全部政府にまかせる。自分の議長権もアジズ蔵相に譲る。良い改革には頼まなくても融資がつく。改革の仕事を見に来い、金の話はしたくないと言ったらいい。

三人そろっての心配顔に、ああ井中の蛙だなと思った。改革計画はもとより、立派な結果がもうあるではないか。幽霊教師が全国から消えた。教科書詐欺が消えた。賄賂で決まる入学試験制度が消えた。教師訓練、資格認定制度が動きはじめた。学校が教育の場としてよみがえりつつある。公衆衛生医療制度も生き返りはじめた。税務署の文化改革も、若手改革派を軸に動きはじめた。世に希有なことだと自信を持ってほしい。援助界は夢ではないかと身をつねるはずだ。

銀行改革の同志の夢も現実となり、10年越しのゲリラ戦が実りはじめた。国営銀行民営化の方法は刷新的、世界の注目に値する。銀行業に素人の官僚や学者は、売り方で民営化が水の泡になる可能性を知らない役立たずと、海外第一線で活躍中のパキスタン人銀行家5人を呼んだ。彼らに国営銀行5行が真面目な株主に買ってもらえる状態になるまでCEOとして立て直してくれと頼んだ。不可能なら潰して結構、介入は一切しない、思う存分やってくれという将軍の案は、世界の銀行史に稀なのを知らないのかと意見した。

銀行部門構造調整改革に3億ドルの世銀融資を考えている、と三人を驚かせた。その計画を公表すれば、氷は必ず解けはじめる。それでも心配な「井中の蛙」なら、と続けた。つい先週、ブータンが首都ティンプーで援助会議を主催した。大成功だった。小国が悩む世界の無関心をひっくり返し、参加者一同「国民総幸福量」の行政哲学を体験学習して感動した。人口は少なくても、ブータンは大国だという認識が芽生えたと話した。身を乗り出して聞いていた三人の顔に生気が戻った。「ブータンにできることが我が国にできないわけはない!」と膝をたたく将軍。"That's the fighting spirit!"(それこそ闘志)と笑った。

翌年3月イスラマバードで開催された会議は、草の根訪問も組み合わせ、改革に直接携わる勇士らのセミナー形式だった。開催まもなく会議のムードが半信半疑から驚きへと変わっていった。普通は形式的な演説ばかりでつまらない質疑応答の時間が、専門家同士の討論や各国改革経験談など、知識交換の場となった。

中央銀行総裁を筆頭に銀行改革同志の発表が終わったとき、日本大使が手を挙げた。公式コメントは後ほど配ると前置きして彼は言った。「素晴らしい。総裁、この仕事が終わったら、我が国へ改革をしに来てください」。和やかな笑いが湧くなか、ひと昔のイスラマバードの夜を思い出し、傍聴席のC氏を見た。思わず両掌(てのひら)を天に向けてイスラムの祈りの形をとったら、微笑んで合掌を返してくれた。感無量だった。

画像4パキスタン援助国際会議で議長を務めるアジズ蔵相(当時、右)を補佐しながら、感無量の筆者


ムシャラフ将軍のどこが気に入ったと聞かれたことがある。自分に正直で民を煽り騙さない人だと答えた。彼との時間を思い出すたび、政治家になぜああいう人が出にくいのだろうと憂う。

[1]1990年にブットーが汚職のため解任されシャリフが首相に就任。93年の選挙でブットーが政権を奪還するがまたも汚職で失脚、97年にシャリフが再度首相となった。
[2]ナワズ・シャリフ(1949~):パキスタン・イスラム教徒連盟総裁。1990~93年、97〜99年パキスタン首相。99年、ムシャラフ将軍によるクーデターで失脚、国外追放。2007年に帰国。


※著者の意向により本書の印税はすべてブータンのタラヤナ財団に寄付され、貧しい家庭の児童の教育費等に役立てられます。タラヤナ財団とそれを設立したブータン王妃(当時)について西水さんが綴った「歩くタラヤナ」もぜひご覧ください。

著者紹介

新プロフィール写真(クレジット入)

西水美恵子(にしみず・みえこ)
米国ガルチャー大学を卒業(経済学専攻)。ジョンズ・ホプキンス大学大学院博士課程(経済学)を卒業。プリンストン大学経済学部(ウッドロー・ウイルソン・スクール兼任)助教授に就任。1980年、世界銀行経済開発研究所に入行。諸々のエコノミスト職や管理職を歴任。IBRD(世界銀行グループ・国際復興開発銀行)のリスク管理・金融政策局長などを務めた後、1997年、南アジア地域担当副総裁に就任。2003年、定年を待たずに退職。以来、世界を舞台に様々なアドバイザー活動を続ける。2007年よりシンクタンク・ソフィアバンクのパートナー。著書に『国をつくるという仕事』、『あなたの中のリーダーへ』、『私たちの国づくりへ』(いずれも英治出版)などがある。

連載紹介

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元世界銀行副総裁・西水美恵子さんの著書『国をつくるという仕事』を2009年に出版してから10年。一国の王から貧村の農民まで、貧困のない世界を夢見る西水さんが世界で出会ってきたリーダーたちとのエピソードが綴られる本書は、分野や立場を問わない様々な方たちのリーダーシップ精神に火を付けてきました。10周年を機に、ぜひもう一度西水さんの言葉をみなさんに届けたい——。そんな思いから、本書の全36章より特選した10のエピソードを順次公開いたします。徹底的に草の根を歩き、苦境にあえぐ一人ひとりの声に耳を傾け、彼らの盾となって権力者たちと戦い続けた西水さんの23年間の歩みをご覧ください。

連載:いまもう一度、『国をつくるという仕事』を読む。
第1回:はじめに
第2回:カシミールの水【インド、パキスタン】
第3回:偶然【トルコ、バングラデシュ、スリランカ】
第4回:雷龍の国に学ぶ【ブータン】
第5回:売春婦「ナディア」の教え【バングラデシュ、インド】
第6回:改革という名の戦争【パキスタン】
第7回:神様の美しい失敗【モルディブ】
第8回:ヒ素中毒に怒る【バングラデシュ】
第9回:殺人魔【インド】
第10回:歩くタラヤナ【ブータン】
特別回:「本気」で動けば、何だって変えられる——著書『あなたの中のリーダーへ』、「はじめに」より
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出版10周年:いまもう一度、『国をつくるという仕事』を読む。

元世界銀行副総裁・西水美恵子さんの著書『国をつくるという仕事』を2009年に出版してから10年。一国の王から貧村の農民まで、貧困のない世界を夢見る西水さんが世界で出会ってきたリーダーたちとのエピソードが綴られる本書は、分野や立場を問わない様々な方たちのリーダーシップ精神に火...
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