連載バナー_厨勝義2_各記事

三陸で石鹸屋をはじめたきっかけ

震災をきっかけにこれまで無縁だった東北に移り住み、まったくの未経験から石鹸屋を創業した著者。連載初回は、移住、石鹸との出会い、そして起業までのストーリーを語る。

僕は今、宮城県の女川町で「三陸石鹸工房KURIYA」というお店を経営しています。海藻や米ぬか、シルクや蜂蜜を原材料とした小さな石鹸は、「かわいい」「チョコレートみたい」との声をいただき、ギフトや結婚式の引き出物としても好評です。

僕は今年で40歳。ロボコンなどでおなじみの久留米高専を卒業後、機械設計、海外営業、人事コンサル、翻訳、創業支援などを経てたどりついたのが石鹸。なぜ、作ったこともなかった石鹸を? 今日は、その始まりのお話です。

震災、復興、人手不足。

2011年3月11日、東日本大震災が起きた時、僕は当時住んでいた浅草のシェアハウスにいました。仕事から帰ってきてテレビをつけると、目に飛び込んできたのは津波や火事の映像。

数日間ただテレビを眺めていると、宮城出身の友人の誘いで、彼の大学時代の先輩に物資を届けに行くことに。ガソリンや食料などを積めるだけ積んで南三陸町に向い、そこで初めて現実を目にしました。陸に上がった船。見渡す限りの瓦礫。流されてきた家で塞がれた道。行方不明者を救助・捜索する自衛隊。

高台に登って町の全景を見たとき、「これは一度足を運んで終わりにはできない」そう思いました。そして何をしたらいいかわからないまま、物資を運んだり、ボランティアやNPOの方々への現場案内をしたりして、2週間に一度くらいのペースで東京から通い始めました。

やがて通えば通うほど「人手が足りない」ことがわかり、当時やっていた翻訳の仕事を続けながら、2011年7月には南三陸町に移住。

はじめは、地域のニーズを集めたり、瓦礫の撤去作業などをしていましたが、2年目くらいからは復興の進展に伴い、起業支援やコワーキングスペースの設立などの事業寄りの仕事が増えていきました。産業の復活、そして新たな事業の登場は、地域の維持・発展に不可欠です。

しかし震災から3年が経った頃には、事業を興すプレイヤーを地域内で発掘するのはもう限界だということが目に見えてきました。起業する人はほぼ出尽くしており、これからは外部からの流入を期待するしかない。でも待っていても起業家は出てこない……。

石鹸、いいかも。

「自分がまずやるべきじゃないか?」
そのとき初めて自分が事業を興すことを意識しました。そして可能性を感じていたのが、仮設住宅でのワークショップに参加したときに出合った、手作り石鹸。そこにいる誰もが自分の石鹸を一生懸命に作り、盛んに講師に質問していました。そして何より、参加している現地のお母さんたちが、とてもとても楽しそうだった。

「これは頑張れば、ビジネスになるのではないか?」
まず事業としての可能性について考えてみました。すると、地方には年間売上が1億円規模の石鹸商品がいくつもあること。地方本社で売上100億円超のスキンケア企業があること。オーガニックスキンケアの市場が年6%で伸びていること(当時)。手作りの商品は多少単価が高くても価値を感じてもらいやすいこと。そして石鹸のような消費財は、一度気に入ってくれたら5年10年使い続けてくれる可能性があること、などを知りました。

「石鹸と地方は、かなり相性がいいんじゃないか?」
三陸でこの事業を始める価値についても考えてみました。ここには海も山も里あり、天然素材に事欠かない。ひょっとしたら、生産の過程で捨てられてしまうような地元の資源を有効活用できるかもしれない。商品のファンになってくれれば、「いつか本店に」と三陸まで足を運んでくれる可能性がある! 石鹸はビジネスとしても十分成り立ち、さらに地方にも還元できることが見えてきました。

「若者にとって魅力的な仕事になるのでは?」
同時に、雇用を生みだすことについても考えました。故郷に帰りたいけど仕事がないとよく言われるけれど、一次産業や加工業などは人手不足に喘いでいます。仕事がないのではなく、働きたいと思える仕事がないのでは? クリエイティブな仕事があれば、若者が三陸によろこんで帰ってくるのでは? 若者たちが集まり、アイデアを出し合っている姿がだんだん浮かんできました。

「この土地の豊かな資源を使おう。一つひとつ手間をかけて作ろう。価値を感じてくれる人に丁寧に届けよう」
こうして石鹸で起業することを決めました。2015年1月、まずは古民家を借りて試作するところから始まり、その後、仮設商店街に初の店舗を開きました。そして2016年12月には駅前商店街の本格的な店舗に移転。現在は、アルバイトを含め8名の仲間とともに日々奮闘中です。

「小商い」では、足りない。

「田舎で手作り石鹸をつくっています」と聞くと、のんびり気ままにやっているように思われるかもしれません。確かに、工房の営業時間は1日7時間で、残業はほぼゼロ。僕自身も田舎のゆっくりとした時間の流れを楽みながら生活しています。東京にいたころに比べると、睡眠時間も趣味時間もたっぷり。

でも、僕たち「三陸石鹸工房KURIYA」は、真面目に考えています。

「せっけんで、世界をせっけんする!」

地域とその土地にかかわる人に深く貢献できる事業を、地元の人口維持に貢献できるビジネスを、本気でやりたいと思っています。正直言うと、自分が不自由なく暮らせるくらいの規模で十分かもしれないという思いもありました。でも、いま三陸が必要としているのは、産業であり起業家です。「小商い」ではなく、ヒトやモノやカネが好循環するようなビジネスが求められています。

だから、「せっけんで、世界をせっけんする」。世の中に前向きなインパクトを生み出す。それも、三陸石鹸工房KURIYAのメンバー一人ひとりが、自分らしいライフスタイルを楽しみながら。(これができたら、めちゃめちゃかっこいい!)

まだまだできていないことばかりですが、気がつけば、試作品を作り始めてから丸3年。ちょっとずつ成長しています。いまでは海外展開を視野に入れるくらいになってきました。田舎の小さな石鹸屋が、世界に挑む物語の第1章として、この連載をお楽しみいただければと思います。

みなさんと一緒に、地方での会社経営や幸せな働き方について考え、学び合うことを楽しみにしています。来月には僕が尊敬する経営者との対談イベントを計画中ですので、そちらもどうぞご期待ください!

厨勝義(くりや・かつよし)三陸石鹸工房KURIYA代表、株式会社アイローカル代表取締役。1978年久留米市出身。工作機械メーカー、国際教育NPO(アメリカ)、DREAM GATEプロジェクトを経て翻訳事業会社を経営。東日本大震災後に宮城に移住し、南三陸町戸倉地区を拠点に復興支援活動を開始。起業家創出・育成支援、民間企業の力を活用した震災復興事業の企画などに注力した後、2014年に株式会社アイローカル設立。2015年に南三陸石けん工房(現・三陸石鹸工房KURIYA)をオープン。女川町女川浜在住。