「ただしい」と「たのしい」
なんとか始まった石鹸作り。試作品が好評を博し、商品発売にこぎつける。しかし、とんとん拍子ですべてがうまくいくはずもなく、発売開始から半年後、思いもしなかった大きな決断に迫られる。
苦しい選択
石鹸を作ることにも慣れてきた2015年の夏、その時二人の仲間と商品開発に日夜挑んでいました。一人は美大出身でJICA勤務を経て宮城に移住してきた男性、もう一人は地元の女性。当時は、南三陸町の古い民家を借り、そのキッチンが僕たちの工房でした。
試作品が評判を呼び、2015年3月から商品販売をスタート。すると、幸いにして宮城のローカル番組で取り上げていただき、小さな集落にあった古い民家(写真)を訪れてくれる方が増えていきました。
「お、これはいけるかもしれない」
そんな期待をいただいていたのも束の間、思ってもみなかった問題にぶち当たります。お客さんが車で来る。駐車場には1台しか入らない。すると民家の前の小さな道路に車がずらりと並ぶ。その結果、近隣の方々に迷惑をかける事態になってしまったのです。
「まずい、新しい場所を探さなければ……」
しかし、津波で被害を受けた土地では空き家を見つけるのも一苦労。その古い民家ですら、見つけるまでに半年を要したのです。
そんな時に、たまたま訪れた女川町で、仮設商店街の店舗に空きが出たので使ってみないかというお話をいただきました。まさに渡に船! しかし話はそう簡単ではありません。この仮設店舗を借りるということは、慣れ親しんだ町を出て行くということ。
南三陸町に移住して、すでに4年が経過していました。地元の方々とは、すでに親戚づきあいのような感覚。この町が好きであると同時に、町のために何か貢献したい、この町の未来の一助になりたいと強く思っていました。
車で1時間程度の同じ三陸地方とはいえ、他の土地に移ることは大きな決断です。そして、いま一緒に石鹸を作っている二人の仲間にとっては、寝耳に水。
「はたして彼らは、ついてきてくれるだろうか」
「ただしい」と「たのしい」
考えに考え尽くした結果、女川町の仮設商店街への移転を決断。愛する南三陸町から拠点を移すことには大きな葛藤がありました。しかし、石鹸とは無関係ながら事務局の一員として関わっていた、南三陸町の漁師の方々との商品開発プロジェクトは、移転後も変わらずお手伝いさせていただくことに。そして、石鹸の素材を仕入れたり、商店街で石鹸を販売していただいたりと、南三陸町とのつながりは現在も続いています。
しかし移転に伴い、これまで苦楽を共にしてきた二人の仲間とはお別れをすることになりました。それは決して幸せなお別れとは言えず、彼ら二人とちゃんと向き合っていなかったのではないか、そんな思いが募りました。
会社を立ち上げたばかりで事業収入は少なく、今後の見通しも立ちづらい。給料も多いとは言えず、福利厚生もなく、スタッフにとって色んなことが手つかずのままでした。
そんな状況のなかでの移転。自宅から勤務地が遠くなることで、通勤時間が長くなり、生活が変わることに、きっと二人とも頭の中が不安と疑問で一杯だったと思います。
事業を継続するために移転するということは、いわば「ただしい」判断でした。津波被災地での事業立ち上げにおける最難関は、なんといっても事業所の確保。建物の9割が被害を受け、住む場所ですら困る状況でした。既存の事業者のための仮設商店街はあっても、新規の事業のための場所は十分にありません。
やっと見つけた古民家も来客を迎えることが困難。事業を継続するためには引っ越しは必須。しかし、ここで「ただしい」判断をすることが、本当に良かったのか。
いまならば、そういう判断に迫られたとき、「ただしい」だけでなく、「たのしい」も考えたい。そう思います。でも当時の僕は、早く足場を固めて次のステップを踏まなければと、事業を推進する上での「ただしい」判断にとらわれていました。「こうなったら、もっとたのしいんじゃないか」「みんながよりたのしめるために、どうするか」についてはまったく考えが及ばなかったのです。
人の幸せ、組織の幸せ
移転したとしても、彼ら二人がたのしく働けるような仕組みをつくれたかもしれない。自分も含めた三人にとっての幸せな選択肢をもっと突き詰めて考えることもできたのではないか。そんなことを、いまもふと思うことがあります。
こういう難しい意思決定をするときに、いま自分の中で大切にしている考え方があります。それは、2015年夏の移転からしばらく経った後に、クルミドコーヒーの影山知明さんに教えていただいた「ブリコラージュ」というものです。
ブリコラージュは、理論や設計図に基づいて物を作る「エンジニアリング」とは対照的なもので、その場で手に入るものを寄せ集め、それらを部品として何が作れるか試行錯誤しながら、最終的に新しい物を作ることである。
(Wikipediaより)
影山さん曰く、ブリコラージュとは「冷蔵庫の中にある材料で、一つひとつの素材を存分に活かして料理を作る」という考え方。これを聞いて、「そうか」と思わず唸りました。移転当時、ドタバタの中で自分にはこういう視点がなく、まるっきりエンジニアリング発想で、移転しなければ事業は継続できないと思い込んでいたのです。
人を活かしきる。可能性を最大限に引き出す。そういうブリコラージュの発想に基づくと、彼ら二人にとっても自分にとっても「たのしい」選択ができたかもしれない。そしてその先に、新しい事業の形を模索できたのかもしれません。
影山さんの話はさらに、「ブリコラージュとは、特定の地域で何か事業や活動に取り組む上で、欠かせない視点なのではないか」と続いていき、これまた思わず唸ってしまいました。
「料理に基づいて、素材を集めるエンジニアリング」から
「素材に基づいて、料理を決めるブリコラージュ」へ。
影山さんの問いかけをヒントに試行錯誤することで、自分自身のマインドが、「都市部でビジネスをする」から、「地方でビジネスをする」へとだんだんと切り替わっていきました。
「都市部でビジネスをする」発想は、石鹸作りに必要な人材や事業所をいかに確保するかという考え方。リソースが豊富な都市部であれば、そのやり方でも通用するかもしれません。しかし、地方はないものだらけ。そういうときは、じっくりと素材(人や地域の資源)に向き合い、どうすれば素材を活かせるかと知恵を絞る。すると、いままで考え付かなかった料理(新しい事業)を生み出すことだってできる。そして、それこそが地方でビジネスをする「おもしろさ」ではないか、そう思うのです。
このような視点を得るきっかけをいただいた影山さんと、5/22(火)にトークイベントを行います。テーマは「人の幸せ、組織の幸せ」。自分と他者のポテンシャルを活かし、個人と組織の幸せを両立するにはどうしたらいいのか? 個人と組織が対立したり、良さを消し合うことなく、お互いエンパワーできる方法とは? そんなことを題材に影山さん、そして参加者のみなさんと語り合いたいと思います。
ちなみに当日は、僕たちが作っている石鹸をお持ちする予定です。ぜひ手に取ってご覧いただければと思います。それでは、みなさんとお会いできるのを楽しみにしています!
影山知明(クルミドコーヒー)×厨勝義(三陸石鹸工房KURIYA)
トークイベントの詳細はこちらから!
厨勝義(くりや・かつよし)三陸石鹸工房KURIYA代表、株式会社アイローカル代表取締役。1978年久留米市出身。工作機械メーカー、国際教育NPO(アメリカ)、DREAM GATEプロジェクトを経て翻訳事業会社を経営。東日本大震災後に宮城に移住し、南三陸町戸倉地区を拠点に復興支援活動を開始。起業家創出・育成支援、民間企業の力を活用した震災復興事業の企画などに注力した後、2014年に株式会社アイローカル設立。2015年に南三陸石けん工房(現・三陸石鹸工房KURIYA)をオープン。女川町女川浜在住。