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『PUBLIC DIGITAL(パブリック・デジタル)』監訳者序文(岩嵜博論・武蔵野美術大学クリエイティブイノベーション学科教授)

政府・公共機関など旧来型大組織のデジタル化はどうすればうまくいくのか。各国が模倣するイギリス政府のDXを担った特命チームGDSの中心人物らが、実践に基づき「デジタル組織のつくり方」を語った書籍『PUBLIC DIGITAL(パブリック・デジタル)──巨大な官僚制組織をシンプルで機敏なデジタル組織に変えるには』(アンドリュー・グリーンウェイほか著)。行政DXや大企業のデジタル化に携わる方々から好評の本書の監訳者・岩嵜博論さんによる序文を公開します。

公共サービスや行政関連の手続きと聞いてみなさんはどんなイメージを持つだろうか。政府、役所のすることは効率が悪く、届出などの手続きをするのが面倒で、扱いづらい。日本では政府・行政がしばしばこのようなイメージで語られるし、それに近い実態もあるだろう。しかし海外に目を向けると、各国で近年、公共領域のデジタル化が進んでいる。

いち早く行政のデジタル化に成功した国の一つがイギリスである。その成果を体現するのが本書の主題である政府組織、政府デジタルサービス(GDS:Government Digital Service)だ。

GDSが運営する代表的ウェブサイトであるGOV.UKは、公共サービスに関する全ての情報が一元的に提供されるポータルサイトだ。税金の納付やパスポートの取得など、ありとあらゆる行政情報をワンストップで調べることができる。

GOV.UKの導入以降多くの国民はデジタルの手続きを利用するようになったという。拍子抜けするほどシンプルなウェブサイトを実際に使ってみるとその理由を理解できるだろう。トップページにある検索窓を経由して、すべての情報が同じフォーマットで、シンプルかつわかりやすい説明とともに提供される。省庁や組織をまたぐ情報であっても、ユーザーはたらい回しにあっている印象はまったく受けないだろう。同じことを日本の行政のウェブサイトで検索したらどうなるか実際にやってみるとGOV.UKの偉業に改めて気付かされる。

GDSの成果はGOV.UKだけに留まるものではない。GDS設立以前の英国政府では、相次いで大型のITプロジェクトが頓挫していた。長い期間と多額の税金を投入したプロジェクトがことごとく失敗していたのだ。こうした背景を受けてGDSは2011年に設立。4年後には政府のテクノロジー関連支出を40億ポンド削減することに成功した。

GDS設立以降、オープンデータを公開する行政サービスの数は増加し、多くの取引がデジタルプラットフォーム上で行われるようになった。様々な変革が実を結び、英国は国連の電子政府ランキングで1位を獲得するに至った。

GDSは英国政府という伝統的で官僚的な組織をDXによって変革した中心的な存在だ。彼らはなぜ、そんな変革を実現できたのだろうか。

巨大な伝統的・官僚的組織をデジタルで変える

本書はGDSの立ち上げに貢献したリーダーである、アンドリュー・グリーンウェイ、ベン・テレット、マイク・ブラッケン、トム・ルースモアによって書かれたDigital Transformation at Scale: Why the Strategy Is Deliveryの待望の翻訳である。

GDSの設立を通じて英国政府という巨大な官僚機構をどのように変革していったかが、当事者の手によって著されている。初版は2018年に出版され高い評価を得た。その後、新型コロナウイルス感染症の影響を踏まえた第2版が2021年に出版された。本書は、パンデミックに関連するいくつかの章が追加された第2版の翻訳である。

本書の魅力を一言で言えば、伝統的で官僚的な組織をデジタルによって変革するための組織論である。原題の"at Scale"が示唆するように、巨大組織のDX(デジタルトランスフォーメーション)を論じているのも特徴だ。DXの本質は、デジタルテクノロジーを手法として表面的に導入することではない。組織そのものをデジタルに適した形に変革することである。本書ではテクノロジーそのものに関する言及は控えめだ。300ページを超える内容の多くはデジタル組織をつくるための、組織や人材のあり方、マインドセットの持ち方、プロセスについて述べられている。

本書において繰り返し強調されるのは、ユーザーの目に触れるデジタルプロダクトをつくることだけではなく、表面からは見えない組織内部の運営方法を変えることの重要性だ。そのために必要なこととして、新しいリーダーシップ、デジタル組織に適切なチーム、そしてデジタル組織が掲げるミッションのあり方について述べられている。

チームのあり方については、さらに詳細にプロダクトマネジャー、デリバリーマネジャー、開発リーダー、デザイナー、ユーザー・リサーチャー、コンテンツ・デザイナーといったデジタル組織特有の新しい職能が挙げられている。仕事のやり方についてもアジャイルや、オープン、フラットといった概念が議論されている。一見、行政組織の組織論に聞こえないかも知れないが、これがデジタル組織の新しい前提なのである。そしてその前提は行政組織だけではなく、広く多くの組織のDXの参考になるだろう。

したがって本書は「行政組織のDX本」であるだけでなく、GDSというイギリス政府の変革を題材にした、伝統的で巨大な組織をデジタル組織にするための指南書と言える。

ツールや技術の前に「組織」が問題だ

英国政府が経験したデジタル組織への変革は、そのまま大企業のデジタル組織への変革にも当てはめることができる。官僚的な大組織は綿密に計画されたことを間違いなく遂行することに長けている。一方でデジタル組織に求められるのは、不確実な中で試行錯誤しながら小さく実行を積み重ねるという行動原理だ。ある意味、官僚的な大組織とデジタル組織は真逆の特徴を持っていると言える。

官僚的な大組織がデジタル組織に変革するためには、既存組織の課題を俯瞰して相対化する必要がある。今の組織の前提は未来の組織の前提ではない。デジタル組織に求められる前提を認識し、組織としての変革が必要なのである。英国政府はGDSにおいてそれを実行し変革を実現した。

GDSのワークスタイルやオフィスの様子を紹介する記事や動画を見ると、その姿はもはや政府機関には見えない。スタートアップ企業やデザインファームだと言ってもわからないくらいだ。多様性があるメンバーがカジュアルな服装で、ビジュアルを用いてフラットにディスカッションしている様子は、新しい組織文化の形成に成功したことを示している。

世の中には、スタートアップ企業のようにゼロからデジタル組織を作る方法や、大組織へのデジタルやデータ関連のツール導入については多くの言説が存在する。一方で、政府組織のような、巨大な組織そのもののデジタル化に関する言説は少ない。本書の存在意義は、GDSにおけるDXを題材にしながら、官僚的大組織のデジタル化について様々な観点から議論をつくしていることにある。

行政に関わる読者だけでなく、大企業のDXに奮闘している方々も本書が描くデジタル時代の組織論から多くの示唆が得られることだろう。

今、多くの日本企業に共通して問われている課題はデジタルによる新たな事業創造だ。本書が示すのは、この課題を達成するためには、そのための組織論が必要だということだ。

モノづくりの世界とデジタルの世界ではその行動原理がまったく異なる。日本企業が得意としてきたモノづくりの世界では、綿密な計画と正確な実行が競争優位性の源泉であった。デジタルの世界では、小さく始めて失敗と学習を繰り返しながら精度を上げることが推奨される。これに、組織としての多様性やオープンさ、姿勢としてのユーザー中心思考やアジャイルやイテレーションといった要素が加わる。

組織をデジタル化するということは、こうした新しいワークスタイルを標準的に取り入れるということだ。日本の伝統的な組織ではまだ縁遠いものだろう。もちろん、伝統的な大企業が突然スタートアップ企業のように振る舞うのは難しい。大規模組織には大規模組織に適した変革の形がある。本書が示すのは、英国政府という大きな組織を変革した道筋だ。そのため、組織内政治や調整についても議論されているのが特徴だ。具体的なツールやテクノロジーの検討を行うことも必要だが、その前提となる「大規模組織におけるDXの進め方」がどのようなものかを、本書を通じて体得していただければと思う。

多様な分野の知見を公共領域のDXに活かす

著者についても紹介しておきたい。アンドリュー・グリーンウェイはアクセンチュアの戦略コンサルタントを経て、イギリス政府の公務員に転じ、GDSに参画。GDSでは主にプログラムマネジャーとして活躍した。ベン・テレットはグラフィックデザインのバックグラウンドを持ち、デザインコンサルティングファームや広告会社を経てGDSに参画。デザインディレクターとして、政府ポータルサイトであるGOV.UKのデザインに貢献した。マイク・ブラッケンは、イギリスの新聞大手ガーディアンのデジタル部門を経てGDSに参画。エグゼクティブディレクターとして政府のDXをリードした。トム・ルースモアは、英国放送(BBC)のインターネット部門や民放大手のチャネル4のデジタル部門を経てGDSに参画。事務局のリーダーとして活躍した。

このように、GDSの立役者である4人は、GDS参画前はほとんど行政職員としての経験を持っていなかったことが興味深い。伝統的な大組織を変革するためには、彼らがそれまでのキャリアで培った経験を外部知として持ち込むことが大きな貢献となった。マイクとトムは行政組織ではないが、イギリスの伝統的な組織をデジタルで変革した経験を持っていたし、アンドリューはコンサルティング会社と行政組織の両方の経験をGDSに活かした。ベンはクリエイティブのバックグラウンドを活かして政府組織のデザインリテラシーの向上に貢献した。GDSの成果がこうした行政組織の外から参画した多様な専門家によって生み出されたことも示唆的である。

4人の著者は、GDSが一定の成果を上げた後、協働してきた政治家の退任などを機に政府組織から離れ、DXの支援を行うコンサルティング会社、Public Digitalを設立した。本書の邦題はこの社名に基づいている。同社は政府や行政組織などの巨大な公共組織をインターネット時代に即したデジタル組織に変革することで、多くの人々の生活を向上させることをミッションとしている。GDSでの経験を活かして世界中の政府や行政組織を変革するという新しい挑戦を行っているのだ。2015年の設立以降、世界の6大陸にまたがる30以上の行政機関に対してサービスを提供している。活動範囲はイギリスやオーストラリアといった先進国だけでなく、ペルーやマダガスカルといった途上国にも及び、支援先も国家の政府組織からカリフォルニア州のような州政府やペルーで公共事業を展開するインターコープ社などの民間インフラ企業まで幅広い。彼らが取り組むのは、デジタル組織の立ち上げや、デジタルサービス開発のためのプロセス設計、組織アセスメント、幹部に対するコーチングなど多岐に渡る。

著者たちのもう一つの挑戦は、異なる領域のクリエイティブ専門組織と協業し、より複雑で難易度が高い社会の課題に向き合おうとしていることだ。Public Digitalは2020年10月に、博報堂DYホールディングスの戦略事業組織「kyu」に参画した。kyuは領域の異なる複数のクリエイティブ専門組織の集合体(クリエイティブ・コレクティブ)であり、コラボレーションによって高度な課題に取り組むことを目的として掲げる。世界的に著名なデザインファームであるIDEOや、組織変革を専門にするSYPartnersの他、アーバンデザインの世界で名前が知られているGehlも参加している。Public Digitalは以前からIDEOと協働しており、ペルーのインターコープ社の事例も両社の協業で進められたものだ。

パンデミックで我々がまさに経験したように、公共の課題はこれまで以上に複雑で不確実になり、政府や行政などのパブリックセクター単体での解決が難しくなっている。パブリックセクターとプライベートセクターが協調し、また異なる専門性をもったプロフェッショナルがその両者を行き来しながら、よりよい未来の社会に貢献する姿が期待される。

日本では2021年9月にデジタル庁が発足した。新型コロナウイルス感染症の拡大とその対策に関しても政府の対応や効率性が盛んに取り沙汰されたように、政府・行政のデジタル化は喫緊の課題となっている。もちろん民間企業においても同様だ。そして、そこでは本書で語られるように、ツールの導入だけでなく「組織」を変えることが重要であり、さまざまな専門性を持つ人々がセクターの枠を超えて協働することが必要だ。本書がそのような人たちが日本社会に変化を起こしていく一助になることを願っている。

岩嵜博論(いわさき・ひろのり)
武蔵野美術大学クリエイティブイノベーション学科教授/ビジネスデザイナー。博報堂においてコンサルティングや新規事業開発に従事した後、武蔵野美術大学クリエイティブイノベーション学科に着任。ストラテジックデザイン、ビジネスデザインを専門として研究・教育活動に従事しながら、ビジネスデザイナーとしての実務を行っている。著書に『パーパス 「意義化」する経済とその先』(共著、NewsPicksパブリッシング)、『機会発見──生活者起点で市場をつくる』(英治出版)など。イリノイ工科大学Institute of Design修士課程修了、京都大学経営管理大学院博士後期課程修了、博士(経営科学)。

書籍紹介
PUBLIC DIGITAL(パブリック・デジタル)──巨大な官僚制組織をシンプルで機敏なデジタル組織に変えるには
アンドリュー・グリーンウェイ、ベン・テレット、マイク・ブラッケン 、トム・ルースモア(著)、岩嵜博論(監訳)、川﨑千歳(訳)
2022年8月3日発売

(構成)
プロローグ
第1章 試練のとき
第2章 なぜ変革が必要なのか
第3章 始める前に
第4章 出発点を決める
第5章 最初のチーム
第6章 地固め
第7章 信用を築く
第8章 議論を制する
第9章 従来のやり方に立ち返る
第10章 数字を把握する
第11章 画一化ではなく一貫性を
第12章 基準を設定する
第13章 リーダーを見つける
第14章 次の展開
第15章 バトンタッチを成功させる
エピローグ


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